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'''マッチェム'''(''Matchem''、[[1748年]] - [[1781年]][[2月21日]])は、父ケード(Cade)と母パートナーメア(Partner Mare)の間に生まれた[[馬の毛色#鹿毛|鹿毛]]の[[牡馬]]。[[サラブレッド]][[三大始祖]]の一頭。 |
'''マッチェム'''(''Matchem''、[[1748年]] - [[1781年]][[2月21日]])は、父ケード(Cade)と母パートナーメア(Partner Mare)の間に生まれた[[馬の毛色#鹿毛|鹿毛]]の[[牡馬]]。[[サラブレッド]][[三大始祖]]の一頭。 |
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マッチェムは[[イギリス]]でジョン・ホームズによって生産された。優れた[[競走馬]]、[[種牡馬]]であったが、競走馬としての[[エクリプス_(競走馬)|エクリプス]]や、種牡馬としての[[ヘロド_(競走馬)|ヘロド]]ほど抜きん出た存在ではなかった。現役時代を紹介すると、当時の強豪トラヤヌスが出走していた[[ニューマーケット競馬場]]の4マイル戦では、それを7分20秒の好タイムで破り(レースタイムが初めて正規に計られたのは1846年からであり、このタイムをそのまま信用する事は好ましくない。黎明期の競馬ではキングファーガスが1マイルを1分で走ったなど、誇張された逸話が伝えられているものだ)、さらにトラヤヌス陣営が馬の体調が悪かったと主張すると、翌年4月の再戦でも再びトラヤヌスを下している。負けたレースは[[1756年]]のジョッキークラブプレート(優勝馬[[オルコックアラビアン系|スペクテイター]])と翌年の同レース(優勝馬ミルザ)のみで全成績は12戦10勝と伝えられ、当時のトップホースの一頭と評価されている。その後12歳で引退すると、1784年に33歳で死亡するまで現役種牡馬として活躍し、ヘロドが登場するまでの間マッチェム系を主流血統として発展させた。後継種牡馬となったコンダクター、[[セントレジャーステークス]]優勝馬オランディーズ、[[オークス]]優勝馬テトータム等の名馬を輩出し、[[1772年|1772]] - [[1774年|74年]][[イギリス]][[リーディングサイアー]]を獲得している。 |
マッチェムは[[イギリス]]でジョン・ホームズによって生産された。優れた[[競走馬]]、[[種牡馬]]であったが、競走馬としての[[エクリプス_(競走馬)|エクリプス]]や、種牡馬としての[[ヘロド_(競走馬)|ヘロド]]ほど抜きん出た存在ではなかった。現役時代を紹介すると、当時の強豪トラヤヌスが出走していた[[ニューマーケット競馬場]]の4マイル戦では、それを7分20秒の好タイムで破り(別者注:レースタイムが初めて正規に計られたのは1846年からであり、このタイムをそのまま信用する事は好ましくない。黎明期の競馬ではキングファーガスが1マイルを1分で走ったなど、誇張された逸話が伝えられているものだ)、さらにトラヤヌス陣営が馬の体調が悪かったと主張すると、翌年4月の再戦でも再びトラヤヌスを下している。負けたレースは[[1756年]]のジョッキークラブプレート(優勝馬[[オルコックアラビアン系|スペクテイター]])と翌年の同レース(優勝馬ミルザ)のみで全成績は12戦10勝と伝えられ、当時のトップホースの一頭と評価されている。その後12歳で引退すると、1784年に33歳で死亡するまで現役種牡馬として活躍し、ヘロドが登場するまでの間マッチェム系を主流血統として発展させた。後継種牡馬となったコンダクター、[[セントレジャーステークス]]優勝馬オランディーズ、[[オークス]]優勝馬テトータム等の名馬を輩出し、[[1772年|1772]] - [[1774年|74年]][[イギリス]][[リーディングサイアー]]を獲得している。 |
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* 直系子孫については[[マッチェム系]]を参照。 |
* 直系子孫については[[マッチェム系]]を参照。 |
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2006年1月9日 (月) 10:29時点における版
マッチェム(Matchem、1748年 - 1781年2月21日)は、父ケード(Cade)と母パートナーメア(Partner Mare)の間に生まれた鹿毛の牡馬。サラブレッド三大始祖の一頭。
マッチェムはイギリスでジョン・ホームズによって生産された。優れた競走馬、種牡馬であったが、競走馬としてのエクリプスや、種牡馬としてのヘロドほど抜きん出た存在ではなかった。現役時代を紹介すると、当時の強豪トラヤヌスが出走していたニューマーケット競馬場の4マイル戦では、それを7分20秒の好タイムで破り(別者注:レースタイムが初めて正規に計られたのは1846年からであり、このタイムをそのまま信用する事は好ましくない。黎明期の競馬ではキングファーガスが1マイルを1分で走ったなど、誇張された逸話が伝えられているものだ)、さらにトラヤヌス陣営が馬の体調が悪かったと主張すると、翌年4月の再戦でも再びトラヤヌスを下している。負けたレースは1756年のジョッキークラブプレート(優勝馬スペクテイター)と翌年の同レース(優勝馬ミルザ)のみで全成績は12戦10勝と伝えられ、当時のトップホースの一頭と評価されている。その後12歳で引退すると、1784年に33歳で死亡するまで現役種牡馬として活躍し、ヘロドが登場するまでの間マッチェム系を主流血統として発展させた。後継種牡馬となったコンダクター、セントレジャーステークス優勝馬オランディーズ、オークス優勝馬テトータム等の名馬を輩出し、1772 - 74年イギリスリーディングサイアーを獲得している。
- 直系子孫についてはマッチェム系を参照。
マッチェムの血統マッチェム系/Spanker Mare5×4=9.38% | (血統表の出典) | |||
父 Cade 1734年 鹿毛 |
父の父 Godolphin Arabian1724年 |
不明 | 不明 | |
不明 | ||||
不明 | 不明 | |||
不明 | ||||
父の母 Roxana1718年 |
Bald Galloway | St.Victor's Barb | ||
Grey Whynot | ||||
Akaster Turk Mare | Akaster Turk | |||
Cream Cheeks | ||||
母 Partner Mare 1735年 |
Partner 1718年 栗毛 |
Jigg | Byerley Turk | |
Spanker Mare | ||||
Sister One to Mixbury | Curwen Bay Barb | |||
Curwen Spot Mare | ||||
母の母 Brown Farewell1710年 |
Makeless | Oglethorpe Arabian | ||
不明 | ||||
Brimmer Mare | Brimmer | |||
Trumpet's Dam F-No.4 |