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諸王四位を中心に
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'''四位'''(しい)は、日本の位階制度における位の一つで、複数の異なる制度で用いらられた。
'''四位'''


== 諸王の位 ==
*日本における位階。→[[正四位]]・[[従四位]]
天武天皇元年([[672年]])に[[壬申の乱]]で勝利し、翌年([[673年]])2月27日に即位した[[天武天皇]]は、臣下に与えた[[冠位]]とは別に、皇子を除く皇族王に三位、四位などの位を与えた。この[[諸王の位]]がいつ制定されたかは不明だが、天武天皇14年([[685年]])1月21日に冠位48階制の施行によって廃止された<ref>『日本書紀』巻29、当該年月条。以下、栗隈王と葛城王の例も同じ。</ref>。四位として知られる人物は、[[栗隈王]]と[[葛城王 (天武朝の人)|葛城王]]である。
**江戸時代の武家官位における四品(四位相当)については、[[四品以上に昇進する大名家一覧]]を参照のこと。
*日本の姓氏の1つ。(例:[[四位洋文]]・[[四位晴果]]・[[四位広猫]]・[[四位知加子]])


*[[栗隈王]] - 天武天皇4年([[675年]])3月16日[[兵政官]]長に任命、5年([[676年]])6月没。
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*[[葛城王 (天武朝の人)|葛城王]] - 天武天皇8年([[679年]])7月17日没。
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== 律令制の位 ==
[[大宝律令]]以降の日本の[[律令制]]では[[正四位上]]、[[正四位下]]、[[従四位上]]、[[従四位下]]の4つの位の総称である。(詳しくは[[正四位]]、[[従四位]]を参照)

== 近現代の位 ==
明治時代以降は、[[正四位]]と[[従四位]]の二つにまとめられた。

== 脚注 ==
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== 参考文献 ==
*小島憲之・直木孝次郎・西宮一民・蔵中進・毛利正守・校訂・訳『日本書紀』3(新編日本古典文学全集4)、小学館、1998年。

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[[Category:日本の位階|しい]]

2012年2月25日 (土) 06:25時点における版

四位(しい)は、日本の位階制度における位の一つで、複数の異なる制度で用いらられた。

諸王の位

天武天皇元年(672年)に壬申の乱で勝利し、翌年(673年)2月27日に即位した天武天皇は、臣下に与えた冠位とは別に、皇子を除く皇族王に三位、四位などの位を与えた。この諸王の位がいつ制定されたかは不明だが、天武天皇14年(685年)1月21日に冠位48階制の施行によって廃止された[1]。四位として知られる人物は、栗隈王葛城王である。

律令制の位

大宝律令以降の日本の律令制では正四位上正四位下従四位上従四位下の4つの位の総称である。(詳しくは正四位従四位を参照)

近現代の位

明治時代以降は、正四位従四位の二つにまとめられた。

脚注

  1. ^ 『日本書紀』巻29、当該年月条。以下、栗隈王と葛城王の例も同じ。

参考文献

  • 小島憲之・直木孝次郎・西宮一民・蔵中進・毛利正守・校訂・訳『日本書紀』3(新編日本古典文学全集4)、小学館、1998年。