「奈良警官発砲事件」の版間の差分

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===窃盗事件===
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[[2003年]](平成15年)9月10日午後1時ごろ、建設会社社員のBが、天理市のパチンコ店の駐車場で車上荒らしの要領で現金3万円とクレジットカードなどを盗んだとされている<ref name="one">[http://uonome.jp/read/1017 魚住昭責任総編集ウェブマガジン「魚の目」 - 悪いヤツなら殺していいのか? - 亀井洋志]</ref>。後に、Bは窃盗の事実を認めている<ref name="one" />。移動の車の[[日産・セドリック|セドリック]]には同僚の建設会社社員Aが同乗していた<ref name="one" />。同日午後4時半ごろ、橿原市のパチンコ店で、Bは現金10万円の車上荒らしを行ったとされている。直後、車上荒らしの被害者が気がつき、セドリックが急発進することとなる。車種と車のナンバーそして色が通報される。
[[2003年]](平成15年)9月10日午後1時ごろ、建設会社社員のBが、天理市のパチンコ店の駐車場で車上荒らしの要領で現金3万円とクレジットカードなどを盗んだとされている<ref name="one">[http://uonome.jp/read/1017 魚住昭責任総編集ウェブマガジン「魚の目」 - 悪いヤツなら殺していいのか? - 亀井洋志]</ref>。後に、Bは窃盗の事実を認めている<ref name="one" />。移動の車の[[日産・セドリック|セドリック]]には同僚の建設会社社員Aが同乗していた<ref name="one" />。同日午後4時半ごろ、橿原市のパチンコ店で、Bは現金10万円の車上荒らしを行ったとされている。直後、車上荒らしの被害者が気がつき、セドリックが急発進することとなる。車種と車のナンバーそして色が通報される。
[追記]建設作業員A=在日韓国人「高 壮日」。事件発生当時、それ以前の罪(覚醒剤所持・使用、窃盗、クレジットカード詐欺等)により服役後、仮出所中の出来事とされる。事件当日も覚醒剤の使用が確認されている(運転手Bも同様)


===追跡===
===追跡===

2012年2月2日 (木) 02:49時点における版

奈良県大和郡山市警察官発砲致死事件(ならけんやまとこおりやましけいさつかんはっぽうちしじけん)は、日本奈良県大和郡山市2003年平成15年)9月10日に発生した発砲致死事件。奈良県警の警察官が、窃盗容疑の逃走車両の運転者および同乗者に発砲し、同乗者が死亡した事件。

事件の内容

窃盗事件

2003年(平成15年)9月10日午後1時ごろ、建設会社社員のBが、天理市のパチンコ店の駐車場で車上荒らしの要領で現金3万円とクレジットカードなどを盗んだとされている[1]。後に、Bは窃盗の事実を認めている[1]。移動の車のセドリックには同僚の建設会社社員Aが同乗していた[1]。同日午後4時半ごろ、橿原市のパチンコ店で、Bは現金10万円の車上荒らしを行ったとされている。直後、車上荒らしの被害者が気がつき、セドリックが急発進することとなる。車種と車のナンバーそして色が通報される。

追跡

奈良県警本部機動捜査隊と橿原署の人員が、当該のセドリックを見つけ、追跡する。セドリックは、一旦停止するものの職務質問のために降りた警官を振り切り逃走し(逃走中も信号無視・器物破損等繰り返し)、国道24号を時速100km/h以上で走行、北上する。

午後6時40分ごろの前、あらかじめ警察側は、大和郡山市の下三橋町北交差点で待ち伏せし、ワンボックスタイプの交通捜査車両を横付けさせ、一般車両を横に通し、セドリックの逃亡を阻止する作戦をとった。

発砲

午後6時40分ごろ、セドリックは、パトカーに追突したとされている。「止まれ、ドアを開けろ」と命令するものの、無視される。ガラスを割ろうとするものの割ることが出来なかった。また、逃亡をなおさら続けようとしていたと、現場の警察官は判断した。「止まらないと撃つぞ」と巡査Cが警告する。急発進で身の危険を感じていた巡査部長Dが、「発砲、撃て」と大声で指示する。巡査Cは、車に向けて5発を発射するが、弾は人体をそれる。巡査部長Eが、運転していたBに向けて発砲するが、これがAの頭部と首を直撃する[1]。巡査長Fも、Bに向けて発砲し、Bの頭部を直撃する[1]

同乗者Aおよび運転者Bが、救急車で病院に搬送されて、弾丸摘出手術が行われる。Bは、撃たれた直後も意識があった。Aは、意識不明のまま、同年10月5日に死亡する。

刑事処分

Bは、10月5日に退院し、窃盗と公務執行妨害そして殺人未遂で逮捕され、警察の取調べを受けることとなる。窃盗についてはAは無関係と、Bは主張している[1]。窃盗と公務執行妨害で懲役6年が言い渡され、Bは服役し、出所している[1]

同乗者Aについても、窃盗と殺人未遂で書類送検されるものの、被疑者死亡の不起訴処分となっている。

当事者の主張

警察側の主張

奈良県警察は、警察官や一般人に死傷者を出さないための、適正な職務執行と主張している。また、Aは車上荒らしの見張り役をしていたと主張する。発砲は、運転していたBの腕に向けられたものであるが、セドリックが動いていたため照準がそれたとしている。

窃盗犯Bの主張

「車上荒らしは、Bの単独行動で、Aは一切関係がない」ということを主張している。逃走することに集中していたとしている[1]。銃撃直前では、車が動いたとしても大したスピードでないとしている[1]。AもBも、銃を向けた警官の前で手を上げた瞬間、銃撃されたとしている[1]。また、取調べ担当の警官が、Aが窃盗犯と認めることを要求してきた、としている[1]

関連裁判

国家賠償請求訴訟

Aの遺族は、2006年2月7日、1億1800万円の国家賠償請求訴訟を提起する。2010年1月27日、国家賠償請求訴訟について、Aの遺族側が敗訴の判決が、奈良地方裁判所で下される。判決理由において、発砲した警官側の未必の殺意は認定するものの、「発砲」については警察官の武器使用の範囲を定めた警察官職務執行法第7条の要件を満たした合法行為としている。同年2月5日、大阪高等裁判所に控訴の手続きがなされる。

付審判

2003年11月13日、発砲の指示を出した巡査部長D、車に向けて発射した巡査C、Aを銃撃した巡査部長E、Bを銃撃した巡査長Fに対して、Aの遺族が、殺人罪と特別公務員暴行陵虐罪で、奈良地方検察庁に刑事告訴する。2006年1月11日、不起訴処分となる。翌日1月12日、奈良地方裁判所に、Aの遺族が付審判請求を提起する。

2010年4月16日、奈良地方裁判所で、巡査部長Eと巡査長Fについて、特別公務員暴行陵虐致死と同致傷の罪で審理される旨の付審判決定がなされる。2011年1月24日、付審判での殺人罪での審理もされることとなる[2]2012年1月23日に、付審判決定による裁判員裁判の初公判が開かれ、同年2月28日に判決が出される予定である[3][4]

なお、1949年以降、延べ約1万8000人の付審判請求があったが、2010年10月21日時点では付審判決定にいたったのは23人であり、有罪9人、無罪9人、係争中4人、免訴1人となっている[5]。この事件が、不審判での最初の裁判員裁判となる。

一般の反響

奈良県警察に、付審判に付されている警察官を擁護する電話やメールが寄せられている[6]

脚注

外部リンク