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'''貫頭衣'''(かんとうい)とは[[衣服]]の分類の一つ。 |
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'''貫頭衣'''(かんとうい)とは衣服の分類の一つ。中央に穿たれた穴から頭を出して着るごく単純な構成の衣装。着脱は容易だが被覆性に劣るため、多くの場合外套として用いられる。皮革、樹皮衣、フェルトなどに向くが、頭を通す穴からのほつれがある織物、編み物などには基本的には不向き。腕を通す穴を残して脇を縫ったものを筒型衣と呼び、代表的なものには古代ギリシャのチュニックなどが挙げられる。南米の民族衣装[[ポンチョ]]、[[台湾]]の北部山地先住民の[[方衣]]、[[日本]]の[[千早]]などが代表例。 |
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中央に穿たれた穴から頭を出して着るごく単純な構成の衣装である。着脱は容易であるが被覆性に劣るため、多くの場合外套として用いられる。 |
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『三国史』「魏書」東夷伝中の倭人条より、 三世紀末の日本の民衆は貫頭衣を着用していたとされている。これは、ポンチョのように一枚の布を二つ折りにし中央に頭を通す穴を穿ったものと解釈されている。 |
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皮革、樹皮衣、フェルトなどに向くが、頭を通す穴からのほつれがある織物、編み物などには基本的には不向き。腕を通す穴を残して脇を縫ったものを筒型衣と呼び、代表的なものには古代ギリシャのチュニックなどが挙げられる。南米の民族衣装[[ポンチョ]]、[[台湾]]の北部山地先住民の[[方衣]]、[[日本]]の[[千早]]などが代表例。 |
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しかし、この説には反論もある。当時の織機で織ることができる布の幅は織り手の腰の幅(おおよそ 30cm前後)までで、体の側面は完全に覆うことが難しい。また、布に穴をあけると、そこから解れができて長期の使用に耐えないというのが主な理由である。そこで、布を二枚縫い合わせて頭と腕を出す穴のみ縫い残した身二幅の衣装だったのではないかと主張されている。少なくとも平安時代以降の千早と、台湾の方衣は身二幅である。 |
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== 歴史 == |
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『三国史』「魏書」東夷伝中の倭人条より、 [[3世紀 ]]末の日本の民衆は貫頭衣を着用していたとされている。これは、ポンチョのように一枚の布を二つ折りにし中央に頭を通す穴を穿ったものと解釈されている。 |
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しかし、この説には反論もある。当時の織機で織ることができる布の幅は織り手の腰の幅(おおよそ 30cm前後)までで、体の側面は完全に覆うことが難しい。また、布に穴をあけると、そこから解れができて長期の使用に耐えないというのが主な理由である。そこで、布を二枚縫い合わせて頭と腕を出す穴のみ縫い残した身二幅の衣装だったのではないかと主張されている。少なくとも [[平安時代 ]]以降の千早と、台湾の方衣は身二幅である。 |
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多くの牧畜文化圏では穴の縁の処理をしなくても良いフェルトで作られる。 |
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多くの牧畜文化圏では穴の縁の処理をしなくても良いフェルトで作られる。 |
2012年1月22日 (日) 16:05時点における版
貫頭衣(かんとうい)とは衣服の分類の一つ。
概要
中央に穿たれた穴から頭を出して着るごく単純な構成の衣装である。着脱は容易であるが被覆性に劣るため、多くの場合外套として用いられる。
皮革、樹皮衣、フェルトなどに向くが、頭を通す穴からのほつれがある織物、編み物などには基本的には不向き。腕を通す穴を残して脇を縫ったものを筒型衣と呼び、代表的なものには古代ギリシャのチュニックなどが挙げられる。南米の民族衣装ポンチョ、台湾の北部山地先住民の方衣、日本の千早などが代表例。
歴史
『三国史』「魏書」東夷伝中の倭人条より、3世紀末の日本の民衆は貫頭衣を着用していたとされている。これは、ポンチョのように一枚の布を二つ折りにし中央に頭を通す穴を穿ったものと解釈されている。
しかし、この説には反論もある。当時の織機で織ることができる布の幅は織り手の腰の幅(おおよそ30cm前後)までで、体の側面は完全に覆うことが難しい。また、布に穴をあけると、そこから解れができて長期の使用に耐えないというのが主な理由である。そこで、布を二枚縫い合わせて頭と腕を出す穴のみ縫い残した身二幅の衣装だったのではないかと主張されている。少なくとも平安時代以降の千早と、台湾の方衣は身二幅である。
多くの牧畜文化圏では穴の縁の処理をしなくても良いフェルトで作られる。