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'''トトメス4世''' |
'''トトメス4世'''(Thutmose IV, 在位:紀元前1419年 - 1386年、あるいは紀元前1401年 - 1391年、紀元前1397年 - 1388年)は、[[古代エジプト]][[エジプト第18王朝|第18王朝]]の第8代[[ファラオ]](王)。即位名はメンケペルウラー。意味は「永遠なるかなラー神の出現」。一般に知られるトトメスの名は「トト神の生み出したもの」の意味である。世に言う『夢の碑文』に記されるところによると、砂に埋もれた[[ギザの大スフィンクス|スフィンクス]]を掘り出して救い、スフィンクスの助力によってファラオとなったという。このエピソードは広く知られている。 |
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史実と関連付けた解釈では、スフィンクスとは[[ヘリオポリス]]の太陽神崇拝を示すという研究もある。事実即位後のトトメス4世はアメン神官団の影響力の排除を試み、アメン大神官が就任する慣例であった要職に腹心を任じるなどの施策を行っている。これらの施策は息子[[アメンホテプ3世]]の時代になって、[[テーベ]]からマルカタへの遷都という形でいっそう顕在化する。また、墓所にも様々な神と対話する姿が描かれており、アメン神官団との間には相当の確執があったようである。軍事面では[[ヒッタイト]]の危機に対抗するため、[[ミタンニ]]をはじめとする諸国との間に同盟を締結、シリア方面の情勢を安定させる成果を挙げている。 |
史実と関連付けた解釈では、スフィンクスとは[[ヘリオポリス]]の太陽神崇拝を示すという研究もある。事実即位後のトトメス4世はアメン神官団の影響力の排除を試み、アメン大神官が就任する慣例であった要職に腹心を任じるなどの施策を行っている。これらの施策は息子[[アメンホテプ3世]]の時代になって、[[テーベ]]からマルカタへの遷都という形でいっそう顕在化する。また、墓所にも様々な神と対話する姿が描かれており、アメン神官団との間には相当の確執があったようである。軍事面では[[ヒッタイト]]の危機に対抗するため、[[ミタンニ]]をはじめとする諸国との間に同盟を締結、シリア方面の情勢を安定させる成果を挙げている。 |
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{{先代次代|[[ファラオ|古代エジプト王]]|129代<br>前1401?-1391?|[[アメンホテプ2世]]|[[アメンホテプ3世]]}} |
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2011年10月11日 (火) 02:07時点における版
トトメス4世(Thutmose IV, 在位:紀元前1419年 - 1386年、あるいは紀元前1401年 - 1391年、紀元前1397年 - 1388年)は、古代エジプト第18王朝の第8代ファラオ(王)。即位名はメンケペルウラー。意味は「永遠なるかなラー神の出現」。一般に知られるトトメスの名は「トト神の生み出したもの」の意味である。世に言う『夢の碑文』に記されるところによると、砂に埋もれたスフィンクスを掘り出して救い、スフィンクスの助力によってファラオとなったという。このエピソードは広く知られている。
史実と関連付けた解釈では、スフィンクスとはヘリオポリスの太陽神崇拝を示すという研究もある。事実即位後のトトメス4世はアメン神官団の影響力の排除を試み、アメン大神官が就任する慣例であった要職に腹心を任じるなどの施策を行っている。これらの施策は息子アメンホテプ3世の時代になって、テーベからマルカタへの遷都という形でいっそう顕在化する。また、墓所にも様々な神と対話する姿が描かれており、アメン神官団との間には相当の確執があったようである。軍事面ではヒッタイトの危機に対抗するため、ミタンニをはじめとする諸国との間に同盟を締結、シリア方面の情勢を安定させる成果を挙げている。
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