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2011年6月14日 (火) 16:54時点における版

鉄血演説(てっけつえんぜつ、: Blut und Eisen)とは、1862年に当時のプロイセン首相オットー・フォン・ビスマルクドイツ統一について論じた演説の通称である。小国が分立していた当時のドイツを統一することを目指し、軍備拡張を強行したビスマルクの人となりを如実に表したものであり、彼の「鉄血宰相」というあだ名の由来にもなった。

概要

1862年9月プロイセン議会は政府提出の軍備拡張を進める予算案を否決した。この窮状を打開するため、国王ヴィルヘルム1世はビスマルクを首相兼外相に任命した。数日後、ビスマルクは下院予算委員会で議員を前にして軍備の必要性を訴える演説を行い、次のような言葉で締めくくった。

ドイツがプロイセンに注目しているのは、その自由主義ではなく、力なのであります。1848年および1849年[1]の欠陥でありました。今や大問題(ドイツ統一)は演説や多数決ではなく(武器)と(兵士)によってのみ解決されるでありましょう。

Nicht durch Reden oder Majoritätsbeschlüsse werden die großen Fragen der Zeit entschieden, sondern durch Eisen und Blut.[2]

これが後に「鉄血演説」と呼ばれることになる演説である。この演説が奏功してプロイセン議会は予算を可決。以後、ビスマルクは「鉄血政策」と呼ばれる富国強兵・対外強硬策を推進して、ドイツ統一へと邁進することになる。

  1. ^ 同年に行われたフランクフルト国民議会を指す。
  2. ^ Zitiert nach: Wilhelm Schüßler (Hrsg.), Otto von Bismarck, Reden, 1847-1869, in Hermann von Petersdorff (Hrsg.) Bismarck: Die gesammelten Werke, Band 10, Berlin: Otto Stolberg, 1924-35, S. 139-40.

関連項目