「ジローラモ・フレスコバルディ」の版間の差分
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フレスコバルディの大多数の作品は、[[オルガン]]や[[チェンバロ]]のために作曲され、[[トッカータ]]、[[奇想曲|カプリッチョ]]、[[幻想曲|ファンタジア]]、[[カンツォーナ]]、[[リチェルカーレ]]、[[舞曲]]、[[変奏曲]]などがある。最も有名な曲集が《音楽の花束''Fiori musicali''》([[1635年]])であり、これはミサに用いる音楽をまとめたものである。《トッカータ集》の第1巻は[[1615年]]、第2巻は[[1627年]]に出版された。フレスコバルディの最も技巧がかった、最も実験的な作品《パッサカリアに基づく100のパルティータ''Cento Partite sopra Passacagli'' 》は《トッカータ集 第1巻》の改訂版に収録されている。[[ミサ曲]]や[[モテット]]、[[マドリガーレ]]などを含んだ声楽曲や、鍵盤楽曲以外の器楽曲は、あまり有名ではない。《いかなる楽器によっても演奏可能なカンツォーナ集 第1巻》は[[1628年]]に出版された。 |
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フレスコバルディは、[[テンポ]](速度)について近代的な考え方をした革新者の一人であり、厳格な[[タクトゥス]]による[[メンスーラ|白譜定量記譜法]]と、作品中での加速と減速によって特徴付けられるテンポという近代的な概念の、いわば中間の考え方をした。 |
フレスコバルディは、[[テンポ]](速度)について近代的な考え方をした革新者の一人であり、厳格な[[タクトゥス]]による[[メンスーラ|白譜定量記譜法]]と、作品中での加速と減速によって特徴付けられるテンポという近代的な概念の、いわば中間の考え方をした。 |
2011年6月7日 (火) 06:05時点における版
クラシック音楽 |
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作曲家 |
ア-カ-サ-タ-ナ ハ-マ-ヤ-ラ-ワ |
音楽史 |
古代 - 中世 ルネサンス - バロック 古典派 - ロマン派 近代 - 現代 |
楽器 |
鍵盤楽器 - 弦楽器 木管楽器 - 金管楽器 打楽器 - 声楽 |
一覧 |
作曲家 - 曲名 交響曲 - ピアノ協奏曲 ピアノソナタ ヴァイオリン協奏曲 ヴァイオリンソナタ チェロ協奏曲 フルート協奏曲 弦楽四重奏曲 - オペラ 指揮者 - 演奏家 オーケストラ - 室内楽団 |
音楽理論/用語 |
音楽理論 - 演奏記号 |
演奏形態 |
器楽 - 声楽 宗教音楽 |
イベント |
音楽祭 |
メタ |
ポータル - プロジェクト カテゴリ |
ジローラモ・フレスコバルディ(Girolamo Frescobaldi, 1583年9月 - 1643年3月1日)は、初期バロック音楽の作曲家。声楽曲も遺しているが、とりわけ鍵盤楽曲の作曲家として重要。
フェラーラに生まれる。地元フェラーラで、有名な作曲家でオルガニストのルッツァスコ・ルッツァスキに学ぶ。当時フェラーラに滞在中のジェズアルドにも影響されたかもしれない。庇護者エンツォ・ベンティヴォーリョの援助で、1607年春に、ローマのサンタ・マリア・イン・トラステヴェーレ教会のオルガニストの座を射止める。1608年にはベンティヴォーリョとネーデルラント地方を旅し、ローマに戻ってから聖ペテロ教会の終身オルガニストに就任した。1628年から1634年までフィレンツェのメディチ家宮廷オルガニストも務める。
フレスコバルディの大多数の作品は、オルガンやチェンバロのために作曲され、トッカータ、カプリッチョ、ファンタジア、カンツォーナ、リチェルカーレ、舞曲、変奏曲などがある。最も有名な曲集が《音楽の花束Fiori musicali》(1635年)であり、これはミサに用いる音楽をまとめたものである。《トッカータ集》の第1巻は1615年、第2巻は1627年に出版された。フレスコバルディの最も技巧がかった、最も実験的な作品《パッサカリアに基づく100のパルティータCento Partite sopra Passacagli 》は《トッカータ集 第1巻》の改訂版に収録されている。ミサ曲やモテット、マドリガーレなどを含んだ声楽曲や、鍵盤楽曲以外の器楽曲は、あまり有名ではない。《いかなる楽器によっても演奏可能なカンツォーナ集 第1巻》は1628年に出版された。
フレスコバルディは、テンポ(速度)について近代的な考え方をした革新者の一人であり、厳格なタクトゥスによる白譜定量記譜法と、作品中での加速と減速によって特徴付けられるテンポという近代的な概念の、いわば中間の考え方をした。
フレスコバルディの作品は後年の作曲家に非常に重要な影響を及ぼした。門人のフローベルガーを通じて、フランスとドイツの両方のバロック・オルガン楽派に影響を与えており、中でもヨハン・ゼバスティアン・バッハは、精巧かつ入念で凝った対位法様式という点でフレスコバルディの影響を大きく受けている。バッハがフレスコバルディのオルガン曲集《音楽の花束》の写譜を蔵書していたことは有名である。
関連項目
- ルイジ・バッティフェルリ(Luigi Battiferri, 1600/10 - 1682)、作曲家、オルガニスト。フレスコバルディの弟子の一人。