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2011年4月26日 (火) 02:39時点における版
陸 羽(りく う、733年 - 804年)は、中国・唐代の文筆家。茶の知識をまとめた『茶経』3巻などを著述した。またの名を疾、字は鴻漸、季疵、号は桑苧翁と称した。(他からは竟陵子と呼ばれた)。他の著作に『毀茶論』、『君臣契』、『源解』、『陸文学自伝』(『茶経』以外は散逸)がある。
経歴
復州竟陵郡(現在の湖北省天門市)出身。捨て子として3歳くらいのときに浜で競陵龍盖寺の智積禅師に拾われた。姓名は、長じてから、筮竹を引いて、その卦の文字から選んで決めた。容貌はさえず、しゃべり方に吃音があったが、雄弁であったという。
幼い頃に、智積が仏典を学ばせようとしたが、陸羽は、「跡継ぎがなければ、孝といえるでしょうか」と言い、固く儒教を学ぼうとした。そのため、智積は陸羽に、牧牛などの苦役を課した。ひそかに、竹で牛の背中に字を書いていたという。
逃亡して、役者の一座に入り、諧謔ものを書き上げた。天宝年間に、竟陵太守・李斉物の目に止まり、書を教えられ、学問を学んだ。その後、竟陵司馬の崔国輔と交わった。友人と宴会中、思うところがあると出ていき、約束は、雨、雪の日、虎狼の出現に構わずに守ったという。また、『精行倹徳の人』を理想とした。
至徳元年(756年)、安史の乱を避け、江南に行き、上元元年(760年)頃、呉興(現在の浙江省)に庵をつくって、隠居し、桑苧翁と号し、著書を書き出した。僧の釈皓然と親交を結び、野を一人で歩いて回ったという。隠居中に、朝廷から太子文学や太常寺太祝に任命されたが、辞退した。14年の茶の研究を『茶経』にまとめ、10年後に建中元年(780年)に補足をつけた『茶経』3巻を著す。
大暦年間に、湖州刺史として赴任してきた顔真卿のもとで、『韻海鏡原』編集に加わった。御史大夫の李季卿に冷遇され、『毀茶論』を著したこともある。
伝記資料
参考文献
- 陳舜臣 『茶の話 茶事遍路』 朝日新聞社〈朝日文庫〉、1992年、ISBN 978-4022607058
- 成田重行 『茶聖陸羽 茶経を著した偉人の生涯』 淡交社、1998年、ISBN 978-4473016249
- 『中国の茶書』 布目潮ふう、中村喬編訳、平凡社〈東洋文庫〉、1983年、ISBN 978-4582802894