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'''楠木 正具'''(くすのき まさとも、[[永正]]13年([[1516年]]) - [[天正]]4年([[1576年]]))は[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の武将。[[楠木正忠]]の子。
'''楠木 正具'''(くすのき まさとも、[[永正]]13年([[1516年]]) - [[天正]]4年([[1576年]]))は[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の武将。[[楠木正忠]]の子。



2011年4月13日 (水) 02:42時点における版

 

楠木 正具(くすのき まさとも、永正13年(1516年) - 天正4年(1576年))は戦国時代の武将。楠木正忠の子。

北畠具教家臣。伊勢国八田城主。

伊勢侵略をもくろむ織田信長に激しく抗戦するが、その後形勢不利となった主君の具教は信長と和議を結んだ。

正具は伊勢を脱出し、本願寺顕如の元へと赴き、再び信長に戦いを挑んだ。本願寺内では武勇を買われ指導者を任されたと言われている。信長勢との長き戦いの末、1576年石山合戦のさなかに討死を遂げた。