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'''ウラジーミル・トゥクマコフ'''(Vladimir Tukmakov、[[1946年]][[5月5日]] - )は、[[ウクライナ]]の[[チェスプレーヤーの一覧|チェスプレーヤー]]。[[ユダヤ人|ユダヤ系]]である


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トゥクマコフは[[1970年]]の第38回ソ連国内選手権戦で一躍2位となった(前年([[1969年]])の第37回ソ連国内選手権戦では23人中21位だった)。なおこの第38回ソ連国内選手権戦で優勝したのは[[ヴィクトール・コルチノイ]]である。
トゥクマコフは[[1970年]]の第38回ソ連国内選手権戦で一躍2位となった(前年([[1969年]])の第37回ソ連国内選手権戦では23人中21位だった)。なおこの第38回ソ連国内選手権戦で優勝したのは[[ヴィクトール・コルチノイ]]である。


しかしその後数年は成績が悪く、翌[[1971年]]の第39回ソ連国内選手権戦ではトゥクマコフは22人中18位の成績であり、[[1975年]]のゾーナル・トーナメントでも1勝10引き分け4敗の6ポイントで13位に終わっている。
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ソ連の解体後はウクライナのチェスプレーヤーとして活動している。
ソ連の解体後はウクライナのチェスプレーヤーとして活動している。


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[[de:Wolodymyr Tukmakow]]
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2011年3月21日 (月) 11:14時点における版

ウラジーミル・トゥクマコフ
フルネーム ウラジーミル・トゥクマコフ
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
 ウクライナ
生誕 (1946-05-05) 1946年5月5日(78歳)
オデッサ
タイトル グランドマスター
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ウラジーミル・トゥクマコフ(Vladimir Tukmakov、1946年5月5日 - )は、ウクライナチェスプレーヤーユダヤ系

オデッサ生まれ。ソビエト連邦のチェスプレーヤーとして活動していた1972年、26歳でグランドマスターとなる。

トゥクマコフは1970年の第38回ソ連国内選手権戦で一躍2位となった(前年(1969年)の第37回ソ連国内選手権戦では23人中21位だった)。なおこの第38回ソ連国内選手権戦で優勝したのはヴィクトール・コルチノイである。

その後数年は成績不振で、翌1971年の第39回ソ連国内選手権戦ではトゥクマコフは22人中18位、1975年のゾーナル・トーナメントでも1勝10引き分け4敗の6ポイントで13位に終わっている。

ソ連の解体後はウクライナのチェスプレーヤーとして活動している。