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[[1970年代]]から[[1980年代]]の間に、シコは、プロテスト作品をさらに制作するため、数冊の小説を発表している。 |
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[[1970年代]]から[[1980年代]]の間に、シコは、独裁政権に対抗するプロテスト作品をさらに制作するため、映画制作者、劇作家、音楽家たちとのコラボレーションを行った。作家としても数冊の小説を発表するなど、音楽家であることを越え、ブラジルを代表する知識人の一人であるといってよい。 |
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また彼も他の多くのブラジル人同様、大の[[サッカー]]好きとして有名で、ポリチアマという自身のチームを所有し率いている。 |
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日本は[[ブラジル音楽]]の愛好者が多いことで知られる。しかし彼のオリジナルアルバムが日本盤として販売される機会は少ない。そのため他のMPBアーティストに比べると、彼の曲はさほど有名ではなく話題に昇ることも多くない。したがってブラジル音楽を愛好する人たちの間では、彼の作品がもっと日本で多く紹介されないと、日本国内におけるブラジル音楽の認知度が本当の意味で高まったとはいえない、と言われている。 |
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== 作詞家・作曲家としての代表曲 == |
== 作詞家・作曲家としての代表曲 == |
2011年1月8日 (土) 11:39時点における版
シコ・ブアルキ | |
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基本情報 | |
出生名 | フランシスコ・ブアルキ・ヂ・オランダ |
生誕 | 1944年6月19日(79歳) |
出身地 | ブラジル、リオ・デ・ジャネイロ |
ジャンル | ボサノヴァ、サンバ、MPB、 |
職業 | 歌手、詩人、小説家、劇作家、映画監督 |
活動期間 | 1965年 - 現在 |
公式サイト | Official Site |
シコ・ブアルキ(Chico Buarque、本名フランシスコ・ブアルキ・ヂ・オランダ - Francisco Buarque de Hollanda シコはフランシスコの略称、1944年 6月19日 - , リオ・デ・ジャネイロ生まれ)はブラジルの詩人、歌手、音楽家、作曲家、劇作家、小説家である。
人物
名ソングライターとして名を馳せた他、著作のブダペストはプレミオ・ジャブチ(Prêmio Jabuti)というブラジルの文学賞を受賞した。ジョアン・ジルベルトの元妻ミウシャは彼の姉、またサンビスタのクリスチーナ・ブアルキは妹である。
シコは特権階級の家庭で育った。彼の父親、セルジオ・ブアルキ・ヂ・オランダ (Sergio Buarque de Hollanda)は有名な歴史家、社会学者で、彼のおじで辞書編集者であるアウレリオ・ブアルキ・ヂ・オランダの「アウレリオ」という名は、ブラジルでは著名な辞書の名である。 1964年に音楽家、そして作曲家としてデビューし、音楽祭やテレビのバラエティー番組に出演。デビューアルバムは郷愁的な悲しみ(いわゆるサウダーヂ)を根底とする、キャッチーなサンバであった。 シコは反政府的な活動によって、1968年に逮捕され、1969年にイタリアに亡命する。その後1970年にブラジルに戻り、彼の知名度を生かして、独裁政権へのプロテスト・ソングを制作しはじめる。このときの、若干ベールをかぶせたプロテスト・シングル "Apesar de Você" (Despite of you)は、どういうわけか軍の検閲の目をすり抜け、民主主義運動のアンセムとなった。10万枚が売れた後、結局弾圧の対象となり、すべて店頭から姿を消した。検閲にもかかわらず、オルリーのサンバ(Samba de Orly,1970年)やアコルダ・アモール(Acorda Amor、1974年)、ヴァイ・パッサー(Vai Passar)のような曲は、シコが反抗を続けていることを露骨に示すような作品だった。
1970年代から1980年代の間に、シコは、プロテスト作品をさらに制作するため、数冊の小説を発表している。
ポリチアマという自身のサッカーチームを所有し率いている。
作詞家・作曲家としての代表曲
- ヴィニシウス・ヂ・モライス、トッキーニョとの共作
- オルリーのサンバ (Samba de Orly)
- アントニオ・カルロス・ジョビンとの共作
- 黄金の歳月 (Anos Dourados / Looks Like December)
- 白黒のポートレイト (Retrato Em Branco E Preto)
- カロリーナ (Carolina)
- サンバと恋 (Samba E Amor)
- 映画「ドナ・フロールと二人の夫」のための作品
- いったい何だろう (O Que Sera)
- 「オペラ・ド・マランドロ」(ブレヒトの三文オペラの舞台を大戦前夜のブラジルに移して製作。1985年に映画化され、邦題は「三文オペラ」として公開、また日本でも1990年に宮本亜門演出、田原俊彦主演で「マランドロ」として公演された)のための作品
- 私の愛しい人 (O Meu Amor)
- 愛のかけら (O Pedaco de mim)
- コパカバーナの女たち (Muchachas de Copacabana)
- ジェニと飛行船 (Geni y Zepelin)
- テレジーニャ (Terezinha)
音楽以外の作品
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