シコ・ブアルキ
| シコ・ブアルキ Chico Buarque | |
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シコ・ブアルキ | |
| 基本情報 | |
| 出生名 | Francisco Buarque de Hollanda |
| 生誕 | 1944年6月19日(82歳) |
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| ジャンル | MPB、ボサノヴァ、サンバ、ショーロ |
| 職業 | 歌手、詩人、小説家、劇作家、映画監督 |
| 活動期間 | 1962年 - |
| 公式サイト |
chicobuarque |
シコ・ブアルキ[1](Chico Buarque、本名:フランシスコ・ブアルキ・ヂ・オランダ[2]、1944年6月19日 - 、リオ・デ・ジャネイロ生)は、ブラジルの詩人、歌手、音楽家、作曲家、劇作家、小説家である。
人物
[編集]名ソングライターとして名を馳せた他、著作のブダペストはプレミオ・ジャブチ(Prêmio Jabuti)というブラジルの文学賞を受賞した。ジョアン・ジルベルトの元妻ミウシャは彼の姉、またサンビスタのクリスチーナ・ブアルキや作曲家、政治家のアナ・ヂ・オランダは妹である。
シコは特権階級の家庭で育った。彼の父親、セルジオ・ブアルキ・ヂ・オランダは有名な歴史家、社会学者で、彼のおじで辞書編集者であるアウレリオ・ブアルキ・ヂ・オランダの「アウレリオ」という名は、ブラジルでは著名な辞書の名である。
1964年に音楽家、そして作曲家としてデビューし、音楽祭やテレビのバラエティー番組に出演。デビュー・アルバムは郷愁的な悲しみ(いわゆるサウダーヂ)を根底とする、キャッチーなサンバであった。シコは反政府的な活動によって、1968年に逮捕され、1969年にイタリアに亡命する。その後1970年にブラジルに戻り、彼の知名度を生かして、独裁政権へのプロテスト・ソングを制作しはじめる。このときの、若干ベールをかぶせたプロテスト・シングル「Apesar de Você」(In spite of you)は、どういうわけか軍の検閲の目をすり抜け、民主主義運動のアンセムとなった。10万枚が売れた後、結局は弾圧の対象となり、すべて店頭から姿を消した。検閲にもかかわらず、「オルリーのサンバ」(Samba de Orly、1970年)や「アコルダ・アモール」(Acorda Amor、1974年)、「ヴァイ・パッサー」(Vai Passar)のような曲は、シコが反抗を続けていることを露骨に示すような作品だった。
1970年代から1980年代の間に、シコは、プロテスト作品をさらに制作するため、数冊の小説を発表している。
ポリチアマという自身のサッカーチームを所有し率いている。
作詞家・作曲家としての代表曲
[編集]- ヴィニシウス・ヂ・モライス、トッキーニョとの共作
- オルリーのサンバ (Samba de Orly)
- アントニオ・カルロス・ジョビンとの共作
- 黄金の歳月 (Anos Dourados / Looks Like December)
- 白黒のポートレイト (Retrato Em Branco E Preto)
- カロリーナ (Carolina)
- サンバと恋 (Samba E Amor)
- 映画『未亡人ドナ・フロールの理想的再婚生活』のための作品
- いったい何だろう (O Que Será)
音楽以外の作品
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脚注
[編集]- ↑ 「チコ・ブアルケ」の表記もある。
- ↑ 「シコ」は「フランシスコ」の略称。
- ↑ アマラル, アラシー「困難な時代のアート:1964 ‒80年前後」『ブラジル・ボディ・ノスタルジア』東京国立近代美術館、2004年、108頁。