「社会主義者鎮圧法」の版間の差分

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'''社会主義者鎮圧法'''(しゃかいしゅぎしゃちんあつほう)とは、[[1878年]]、2度の皇帝狙撃事件をきっかけに[[オットー・フォン・ビスマルク]]が制定した法律のこと(実際は社会主義者は狙撃事件とは無関係)。
'''社会主義者鎮圧法'''(しゃかいしゅぎしゃちんあつほう)とは、[[1878年]]、2度の皇帝狙撃事件をきっかけに[[オットー・フォン・ビスマルク]]が制定した法律のこと(実際は社会主義者は狙撃事件とは無関係)。



2010年9月30日 (木) 09:38時点における版

社会主義者鎮圧法の一部

社会主義者鎮圧法(しゃかいしゅぎしゃちんあつほう)とは、1878年、2度の皇帝狙撃事件をきっかけにオットー・フォン・ビスマルクが制定した法律のこと(実際は社会主義者は狙撃事件とは無関係)。

主にドイツ社会主義労働者党(後のドイツ社会民主党)をターゲットにしたもので社会主義的な結社を禁止し、集会・出版を制限した。これによりドイツの社会主義活動は一時衰えるが、再び盛り上がりを見せた。1890年、皇帝ヴィルヘルム2世が更新反対を唱えたため廃止された。