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[[寛永]]7年([[1630年]])、父[[山内可氏]]の死去により、家督と知行6800石を相続して宿毛領主となる。寛永12年([[1635年]])、2代藩主[[山内忠義]]が江戸からの帰途に宿毛屋敷に滞在し、太刀、黄金、馬代等を賜った。寛永16年([[1639年]])、3代藩主[[山内忠豊]]が宿毛を巡見した際は刀等を賜っている。 |
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正保3年(1646年)11月24日没。享年47。法名、高林院鉄叟栄心居士。家督は嫡男[[山内節氏|節氏]]が相続した。 |
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2010年4月24日 (土) 06:05時点における版
山内 定氏(やまうち さだうじ、慶長5年(1600年) - 正保3年11月24日(1646年12月30日))は、江戸時代の土佐藩の重臣。本姓安東氏。幼名藤太郎。通称左衛門佐。
人物・生涯
寛永7年(1630年)、父山内可氏の死去により、家督と知行6800石を相続して宿毛領主となる。寛永12年(1635年)、2代藩主山内忠義が江戸からの帰途に宿毛屋敷に滞在し、太刀、黄金、馬代等を賜った。寛永16年(1639年)、3代藩主山内忠豊が宿毛を巡見した際は刀等を賜っている。
正保3年(1646年)11月24日没。享年47。法名、高林院鉄叟栄心居士。家督は嫡男節氏が相続した。
親族
参考文献
- 宿毛市史編纂委員会「宿毛市史」
- 東京大学史料編纂所「土佐国羣書類従」