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秀衡塗は、[[平安時代]]の末期、[[平泉]]で栄えた[[藤原秀衡]]([[奥州藤原氏]]第三代当主が[[京]]より職人を招来し、この地方特産の[[漆]]と[[金]]をふんだんに使い、[[器]]を造らせたのが起源とされている。
秀衡塗は、[[平安時代]]の末期、[[平泉]]で栄えた[[奥州藤原氏]]第三代当主・[[藤原秀衡]]が[[京]]より職人を招来し、この地方特産の[[漆]]と[[金]]をふんだんに使い、[[器]]を造らせたのが起源とされている。


[[江戸時代]]後期からは平泉町の隣りの[[衣川村]](現・[[奥州市]])で産地が形成され、[[昭和]]に至った。昭和30年に衣川ダム建設に伴い県南に広く分かれて現在も生産されている。
[[江戸時代]]後期からは平泉町の隣りの[[衣川村]](現・[[奥州市]])で産地が形成され、[[昭和]]に至った。昭和30年に衣川ダム建設に伴い県南に広く分かれて現在も生産されている。

2010年3月16日 (火) 08:11時点における版

秀衡塗(ひでひらぬり)は、岩手県で作られる漆器1985年には伝統工芸品に指定された。

歴史

秀衡塗は、平安時代の末期、平泉で栄えた奥州藤原氏第三代当主・藤原秀衡より職人を招来し、この地方特産のをふんだんに使い、を造らせたのが起源とされている。

江戸時代後期からは平泉町の隣りの衣川村(現・奥州市)で産地が形成され、昭和に至った。昭和30年に衣川ダム建設に伴い県南に広く分かれて現在も生産されている。

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