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'''ポリュドロス'''(希:Πολύδωρος、英:Polydorus、[[紀元前700年]]-[[紀元前665年]])はアギス朝の[[スパルタ王]]である。 |
'''ポリュドロス'''(希:Πολύδωρος、英:Polydorus、[[紀元前700年]]-[[紀元前665年]])はアギス朝の[[スパルタ王]]である。 |
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ポリュドロスは先王[[アルカメネス]]の子で、次代の王[[エウリュクラテス]]の父である。彼は[[第一次メッセニア戦争]]の初期に統治し、共同統治者の[[テオポンポス (スパルタ王)|テオポンポス]]と共にその戦争を戦 |
ポリュドロスは先王[[アルカメネス]]の子で、次代の王[[エウリュクラテス]]の父である。彼は[[第一次メッセニア戦争]]の初期に統治し、共同統治者の[[テオポンポス (スパルタ王)|テオポンポス]]と共にその戦争を戦い、勝利した。このためにポリュドロスは大きな名声を博したが、誰に対しても粗暴な振る舞いをせず、無礼な口も聞かず、裁判にあたっても公正な王であったために民衆からの人気もあった<ref>パウサニアス, III, 3, 2</ref>。ポリュドロスは[[貴族]]のポレマルコスによって殺され<ref>パウサニアス, III, 3, 3</ref>、ポリュドロスの死後、人々は彼の妻から牛と引き換えに彼の館を買い取った<ref>ibid, III, 12, 3</ref>。[[パウサニアス]]によれば、歴代の王の中でもポリュドロスは特に尊敬されており、役職に付いた人は印章を押す際にはポリュドロスの像を押印したという<ref>ibid, III, 11, 10</ref>。 |
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また、[[スパルタ]]はポリュドロスの治世の間に[[クロトナ]]と[[ロクリス]]に殖民都市を建設した<ref>ibid, III, 3, 1</ref>。 |
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スパルタの人々は諸王の仲でもポリュドロスを特に尊敬していたようであり、役職についた人々は[[印章]]を押す必要のあるものには全て彼の像を押印したという(ibid、3、3、2)。 |
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== 参考文献 == |
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*パウサニアス著、飯尾都人訳、『ギリシア記』、[[龍渓書舎]]、1991年 |
*[[パウサニアス]]著、飯尾都人訳、『ギリシア記』、[[龍渓書舎]]、1991年 |
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2010年2月20日 (土) 01:38時点における版
ポリュドロス(希:Πολύδωρος、英:Polydorus、紀元前700年-紀元前665年)はアギス朝のスパルタ王である。
ポリュドロスは先王アルカメネスの子で、次代の王エウリュクラテスの父である。彼は第一次メッセニア戦争の初期に統治し、共同統治者のテオポンポスと共にその戦争を戦い、勝利した。このためにポリュドロスは大きな名声を博したが、誰に対しても粗暴な振る舞いをせず、無礼な口も聞かず、裁判にあたっても公正な王であったために民衆からの人気もあった[1]。ポリュドロスは貴族のポレマルコスによって殺され[2]、ポリュドロスの死後、人々は彼の妻から牛と引き換えに彼の館を買い取った[3]。パウサニアスによれば、歴代の王の中でもポリュドロスは特に尊敬されており、役職に付いた人は印章を押す際にはポリュドロスの像を押印したという[4]。
また、スパルタはポリュドロスの治世の間にクロトナとロクリスに殖民都市を建設した[5]。
註
参考文献
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