「世尊寺家」の版間の差分

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==由来==
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[[藤原行成]]が晩年、母の里方の[[代明親王]]の邸宅に隠棲し、邸宅内に世尊寺を建立し、またその子孫が[[世尊寺家]]を名乗り、代々そこを住居としたためこの名を名乗る。
[[藤原行成]]が晩年、母の里方の[[代明親王]]の邸宅だった桃園第(平安京一条の北、大宮の西、大内裏の北郊で現京都市上京区大宮通一条上ルの西方)に隠棲し、邸宅内に世尊寺を建立し、またその子孫が[[世尊寺家]]を名乗り、代々そこを住居としたためこの名を名乗る。

==その後==
==その後==
初代[[藤原行成]]から17代を数えるが、17代目の[[世尊寺行季]]没をもって、[[世尊寺家]]は'''完全に断絶'''。
初代[[藤原行成]]から17代を数えるが、17代目の[[世尊寺行季]]没をもって、[[世尊寺家]]は'''完全に断絶'''。

2005年9月18日 (日) 13:14時点における版

世尊寺家せそんじけ)は、藤原氏から出た氏族の一つ。代々書道の家系であり、その流派は世尊寺流として受け継がれた。

由来

藤原行成が晩年、母の里方の代明親王の邸宅だった桃園第(平安京一条の北、大宮の西、大内裏の北郊で現京都市上京区大宮通一条上ルの西方)に隠棲し、邸宅内に世尊寺を建立し、またその子孫が世尊寺家を名乗り、代々そこを住居としたためこの名を名乗る。

その後

初代藤原行成から17代を数えるが、17代目の世尊寺行季没をもって、世尊寺家完全に断絶

一族

  1. 藤原行成(972-1027)
  2. 世尊寺行経(1012(あるいは1009)-1050)
  3. 世尊寺伊房(1030-1096)
  4. 世尊寺定実(-1131)
  5. 世尊寺定信(1088-1156)
  6. 世尊寺伊行(1139-1175)
  7. 世尊寺伊経(-1227)
  8. 世尊寺行能(1179-1225)
  9. 世尊寺経朝(1215-1276)
  10. 世尊寺経尹(1247-1311)
  11. 世尊寺行房(-1337)
  12. 世尊寺行尹(-1350)
  13. 世尊寺行忠(-1381)
  14. 世尊寺行俊(-1407)
  15. 世尊寺行豊(-1454)
  16. 世尊寺行高(-1478)
  17. 世尊寺行季(1476-1532)