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'''イェレミアス・リヒター'''('''Jeremias Benjamin Richter''',[[1762年]][[3月10日]] – [[1807年]][[4月14日]])は[[ドイツ]]の[[化学者]]である。酸と塩基が中和される時、その酸と塩基の量の比が一定であることを見出した。ジョセフ・プルーストが[[定比例の法則]]を主張する前に同様の法則を公表していた化学者の一人である。
'''イェレミアス・リヒター'''('''Jeremias Benjamin Richter''',[[1762年]][[3月10日]] – [[1807年]][[4月14日]])は[[ドイツ]]の[[化学者]]である。[[]][[塩基]][[中和]]される時、その酸と塩基の量の比が一定であることを見出した。[[ジョセフ・プルースト]]が[[定比例の法則]]を主張する前に同様の法則を公表していた化学者の一人である。


[[シレジア]]地方(現ポーランド領)のヒルシュベルクに生まれた。1974年に[[ヴロツワフ]]で鉱山局の役人になり、1800年にベルリンの鉱山局と王立製陶所の役人になり、ベルリンで死んだ。
[[シレジア]]地方(現ポーランド領)の[[ヒルシュベルク]]に生まれた。[[1974年]]に[[ヴロツワフ]]で鉱山局の役人になり、[[1800年]][[ベルリン]]の鉱山局と王立製陶所の役人になり、ベルリンで死んだ。


リヒターの業績は化学に定量的な手法を導入したことである。1972年に酸化マグネシウムを中和するのに必要な硫酸の量の比率が一定であることを示した。リヒターの結果はDer Stochiometrie oder Messkunst chemischer Elemente ('化学量または化学物質の測定技術’:1792-1794)、Fiber die neueren Gegenstnde in der Chemie (1792-1802)などに発表した。ジョセフ・プルーストが定比例の法則をしめすのは1990年代の後半である。
リヒターの業績は化学に定量的な手法を導入したことである。[[1972年]][[酸化マグネシウム]]を中和するのに必要な[[硫酸]]の量の比率が一定であることを示した。リヒターの結果はDer Stochiometrie oder Messkunst chemischer Elemente ('化学量または化学物質の測定技術’:1792-1794)、Fiber die neueren Gegenstnde in der Chemie (1792-1802)などに発表した。ジョセフ・プルーストが[[定比例の法則]]をしめすのは[[1990年代]]の後半である。


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2005年8月18日 (木) 13:56時点における版

イェレミアス・リヒターJeremias Benjamin Richter,1762年3月10日1807年4月14日)はドイツ化学者である。塩基中和される時、その酸と塩基の量の比が一定であることを見出した。ジョセフ・プルースト定比例の法則を主張する前に同様の法則を公表していた化学者の一人である。

シレジア地方(現ポーランド領)のヒルシュベルクに生まれた。1974年ヴロツワフで鉱山局の役人になり、1800年ベルリンの鉱山局と王立製陶所の役人になり、ベルリンで死んだ。

リヒターの業績は化学に定量的な手法を導入したことである。1972年酸化マグネシウムを中和するのに必要な硫酸の量の比率が一定であることを示した。リヒターの結果はDer Stochiometrie oder Messkunst chemischer Elemente ('化学量または化学物質の測定技術’:1792-1794)、Fiber die neueren Gegenstnde in der Chemie (1792-1802)などに発表した。ジョセフ・プルーストが定比例の法則をしめすのは1990年代の後半である。