「伊古田純道」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
m +生没日
1行目: 1行目:
'''伊古田 純道 '''(いこだ じゅんどう、[[享和]]2年([[1802年]]) - [[明治]]19年([[1886年]]))は日本の[[医者]]。本名'''伊古田寧'''。幼名富次郎、諱は重満、号は楢陵、白茅樵舎主人。日本初の[[帝王切開]]を行い、成功させた。
'''伊古田 純道 '''(いこだ じゅんどう、[[享和]]2年[[10月17日 (旧暦)|10月17日]]([[1802年]][[11月12日]]) - [[明治]]19年([[1886年]])[[9月4日]])は日本の[[医者]]。本名'''伊古田寧'''。幼名富次郎、諱は重満、号は楢陵、白茅樵舎主人。日本初の[[帝王切開]]を行い、成功させた。


== 生涯 ==
== 生涯 ==

2009年6月9日 (火) 04:37時点における版

伊古田 純道 (いこだ じゅんどう、享和2年10月17日1802年11月12日) - 明治19年(1886年9月4日)は日本の医者。本名伊古田寧。幼名富次郎、諱は重満、号は楢陵、白茅樵舎主人。日本初の帝王切開を行い、成功させた。

生涯

出生

伊古田村(現埼玉県秩父市)生まれ。幼名富次郎。

開業

番匠村(現埼玉県ときがわ町)の有名な産婦人科医小室元長からオランダ医学等を学び、後に江戸で学び、秩父で開業した。

帝王切開

嘉永5年(1852年)に坂元村(現飯能市)で日本で最初の帝王切開を、南川村(現飯能市)の医者岡部均平と行い、胎児は既に死亡していたが、母体は助かった。

著書

  • 「子宮截開術実記」
  • 「撒羅満氏産論抄書」
  • 漢詩集「楢陵遺稿」
  • 手稿「賊民略記」、「新政或問」、「志学大意」、「甲申詠草」