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== 戦艦三笠とバロー == |
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日露戦争の黄海海戦に参加したことでも知られる、戦艦三笠はこの街で建造された。当時、起工した戦艦の訓練などのために日本海軍がこの地を訪れており、その際に市長が彼らを夕食会に招待している。 |
日露戦争の[[黄海海戦]]に参加したことでも知られる、戦艦三笠はこの街で建造された。当時、起工した戦艦の訓練などのために日本海軍がこの地を訪れており、その際に市長が彼らを夕食会に招待している。 |
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またバロー・イン・ファーネスの西部にあるウォルニー島には戦艦三笠を記念し、Mikasa Streetと名付けられた通りが存在するが、その道自体は住宅地にあるごく簡素な道路で、記念碑などの類は存在しない。 |
またバロー・イン・ファーネスの西部にある[[ウォルニー島]]には戦艦三笠を記念し、Mikasa Streetと名付けられた通りが存在するが、その道自体は住宅地にあるごく簡素な道路で、記念碑などの類は存在しない。 |
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今でもタウンホールの市長室には、東郷平八郎より贈られた記念品が飾られている。 |
今でもタウンホールの市長室には、[[東郷平八郎]]より贈られた記念品が飾られている。 |
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== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
2009年2月10日 (火) 12:29時点における版
バロー・イン・ファーネス Barrow-in-Furness | |
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BAE システムズ社のバロー造船所 | |
主権国 | イギリス |
構成国 | イングランド |
リージョン | ノース・ウェスト・イングランド |
カウンティ | カンブリア |
政府 | |
• 種別 | タウン |
人口 (2001年国勢調査) | |
• タウン | 59,182人人 |
• バラ | 71,981人人 |
郵便番号 |
バロー・イン・ファーネス (Barrow-in-Furness, Cumbric:Barragh-yn-Faiddis) は、イングランドのカンブリアにあるタウンである。およそバロー・イン・ファーネスの面積の半分を占め、バローの略称でも知られている。
歴史
歴史的にはランカシャーの一部に含まれ、19世紀中頃の産業革命が起きるまでバロー・イン・ファーネスは小さな漁村であった。ファーネス・レイルウェイが建設され、鉄鉱石を各地に輸送したできるようになるとバロー・イン・ファーネスは製鉄所で溶解された鋼を輸出するのに理想的な位置となった。急成長を遂げたバロー・イン・ファーネスには自然の港があり、地元で生産された鋼によって造船も栄えた。
1871年にバロー・シップビルディングが設立された。造船所はイギリス海軍艦の重要な建造社になった。1897年にはヴィッカースによって買収された。
地理
59マイル(95km)の北西にマンチェスターが所在し、カンブリアのカウンティ・タウンであるカーライルは南南西54マイル(87km)の位置にある。
バロー・イン・ファーネスはアイルランド海に接するファーネス半島の先端に位置する。ちょうどロンドンの北西220マイル(350km)の距離にある。
産業
1960年代から原子力潜水艦の建造を専門的に扱うようになった。第二次世界大戦の終結後は一部で廃業する企業もあったが、潜水艦の建造に関わる企業は地域の主要産業、そして雇用主として残った。ヴァンガード級原子力潜水艦の全ては、この地域で建造された。冷戦の終結による軍事費の減少でも多数の失業者を被ったが、BAE システムズの傘下で潜水艦の生産設備はイギリス随一を誇る規模で存続している。
こうしたバロー・イン・ファーネスの造船業の歴史はThe Dock Museumで観ることができる。
スポーツ
戦艦三笠とバロー
日露戦争の黄海海戦に参加したことでも知られる、戦艦三笠はこの街で建造された。当時、起工した戦艦の訓練などのために日本海軍がこの地を訪れており、その際に市長が彼らを夕食会に招待している。 またバロー・イン・ファーネスの西部にあるウォルニー島には戦艦三笠を記念し、Mikasa Streetと名付けられた通りが存在するが、その道自体は住宅地にあるごく簡素な道路で、記念碑などの類は存在しない。 今でもタウンホールの市長室には、東郷平八郎より贈られた記念品が飾られている。