「バラード入り江」の版間の差分
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2009年1月2日 (金) 03:31時点における版
バラード入り江は、カナダのブリティッシュコロンビア州南西部にある岸辺から水底にかけてなだらかで比較的浅い入り江である。最終氷期の頃に形成され、バラード半島(バンクーバーやバーナビー)とウエストバンクーバーやノースバンクーバーがある北岸地域とを二分している。 バラード入り江周辺には数千年の昔より、スカーミッシュ等の先住民族が住んでいる。この地域にスペインの探検隊が初めて足を踏み入れたのが1792年6月19日のことであり、探検隊の隊長アルカラ・ガリアーノによって「Canal de Floridablanca」と名づけられた。その後、イギリス海軍所属の探検家ジョージ・バンクーバーによってこの入り江は、彼の友人であったハリー・バラード卿の名にちなんでバラード入り江と名づけられた。
地理
入り江はジョージア海峡からポートムーディに向かってほぼ垂直に東方向に伸びており、沿岸部には近代的な港、工業地帯(下に詳述)が整備されている他、バンクーバー、ウエストバンクーバー、ノースバンクーバー、バーナビー、ポートムーディなどの住宅地が存在する。入り江の後ろ1/3は、ディープコーブとベルカーラの間から北側に水面下が非常に急峻なインディアン・アームと呼ばれるフィヨルドが形成されている。インディアン・アームは幅がおよそ2km弱の入り江ながら最深部では深さ200m以上ある。入り江はジョージア海峡からポートムーディまで25kmの距離があり、インディアン・アームも20kmの長さがある。入り江には、西に向かっての最初の狭さく部(first narrows)にはライオンズゲートブリッジが、2番目の狭さく部(second narrows)にはアイアンワーカーズメモリアルブリッジおよびその旧橋のセカンドナローズブリッジ(新橋の完成に伴い鉄道専用橋に切り替えられた)が架かっている。入り江の横断手段としては、旅客専用定期フェリーのシーバスも運行されており、バンクーバーのウォーターフロントとノースバンクーバーのロンズデール・キー間を結んでいる。ライオンズゲートブリッジからメモリアルブリッジの間の5kmの区間では大型旅客船を含め、多くの船舶が航行し、水上飛行機も離発着を行う。
バンクーバー港
バラード入り江はバラード半島の先端のスタンレーパークが外洋の波を受け止めるため、内部は波が非常に低く穏やかであるため港として非常に重宝されている。岸辺の一部は住宅街や商業街であるが、それ以外の沿岸部には船の積荷を運ぶための鉄道ステーション、コンテナ積み下ろしターミナル、コンテナ船の発着場、穀物用エレベーター、石油精製所(入り江東部)などの港湾施設が林立している。貨物船は入り江側への入港を待つ際には半島によって分け隔てられた南側のイングリッシュ・ベイに停泊する。入り江の港近辺で昔から変わらず緑が生い茂っている場所はスタンレーパークなどごく一部であり、かなりの地域が開発されているが、インディアン・アームは都市部に隣接していながら、上述のように沿岸部が非常に急峻であるためほとんど開発されていない(周辺にハイキングトレイルがある程度である)。