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'''櫻井ちか'''(さくらいちか、[[1855年]] - [[1928年]])は、日本の教育者。[[櫻井女学校]]、[[櫻井女塾]]を設立して、日本における初期の女子教育を担った。なお、自著で'''ちか子'''との表記も見られる。 |
'''櫻井ちか'''(さくらい ちか、[[1855年]] - [[1928年]])は、日本の教育者。[[櫻井女学校]]、[[櫻井女塾]]を設立して、日本における初期の女子教育を担った。なお、自著で'''ちか子'''との表記も見られる。 |
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2008年12月2日 (火) 01:49時点における版
櫻井ちか(さくらい ちか、1855年 - 1928年)は、日本の教育者。櫻井女学校、櫻井女塾を設立して、日本における初期の女子教育を担った。なお、自著でちか子との表記も見られる。
略歴
- 1855年(安政2年) - 東京日本橋で生まれる。
- 1872年(明治5年) - 海軍士官の櫻井明悳(さくらいあきのり)と結婚。神田の芳英社、横浜の共立女学校で英語を学ぶ。洗礼を受け、キリスト教徒となる。(その後、ちかの影響で、明悳もキリスト教徒となる)
- 1879年(明治12年) - 私財を投じて東京麹町に英女学家塾を開設。小学校、貧学校、幼稚園を付設し、櫻井女学校と改称する。
- 1881年(明治14年) - 明悳が海軍を退役し、牧師として函館に赴任することとなり、ちかも函館に移った。これにともない、櫻井女学校の校長は矢嶋楫子、経営はアメリカ長老教会に移した。また、ちかは函館女子師範学校で教鞭をとるようになった。
- 1890年(明治23年) - 櫻井女学校が新栄女学校と合併し、校名を「女子学院」とする。矢嶋楫子が引き続き院長となった。
- 1895年(明治28年) - 東京本郷に寄宿制の櫻井女塾を開設。
- 1928年(昭和3年) - 逝去した。
主要著書
- 「西洋料理教科書」1910年 紫明社
- 「楽しい我が家のお料理」1925年 実業之日本社
- 「365日 毎日のお惣菜」1925年 忠誠堂
- 「日々活用 お料理辞典」1927年 文武書院(名義:ちか子、肩書き:櫻井女塾長)
- 「実用和洋惣菜料理」
参考文献
- 芳賀登ほか「日本女性人名辞典」(普及版) 1998年 日本図書センター ISBN 4-8205-7881-2
- 「女子学院の歴史」
- 「キリスト教歴史」
- 櫻井淳司「櫻井ちか小伝」