「マリリン・ホーン」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
1行目: 1行目:
{{クラシック音楽}}
{{クラシック音楽}}
'''マリリン・ホーン'''('''Marilyn Horne''', [[1934年]][[1月16日]] )は、[[アメリカ合衆国|アメリカ]][[ペンシルヴァニア州]]の[[ブラッドフォード]]生まれの[[メゾソプラノ]]歌手。[[ジョアッキーノ・アントニオ・ロッシーニ|ロッシーニ]]歌手として知られ、[[バロック音楽|バロック]]時代の歴史的[[ベルカント]]・[[オペラ]]のレパートリーを現代に広げた。
'''マリリン・ホーン'''('''Marilyn Horne''', [[1934年]][[1月16日]] - )は、[[アメリカ合衆国|アメリカ]][[ペンシルヴァニア州]]の[[ブラッドフォード]]生まれの[[メゾソプラノ]]歌手。[[ジョアッキーノ・アントニオ・ロッシーニ|ロッシーニ]]歌手として知られ、[[バロック音楽|バロック]]時代の歴史的[[ベルカント]]・[[オペラ]]のレパートリーを現代に広げた。


== 初期の活動 ==
== 初期の活動 ==
30行目: 30行目:
*[http://www.marilynhornefdn.org/ The Marilyn Horne Foundation]
*[http://www.marilynhornefdn.org/ The Marilyn Horne Foundation]


[[Category:メゾソプラノ|ほん まりりん]]
{{DEFAULTSORT:ほん まりりん}}
[[Category:声楽家]]
[[Category:ペンシルバニア州の人物|ほん まりりん]]
[[Category:1934年生|ほん まりりん]]
[[Category:メゾソプラノ]]
[[Category:アメリカ合衆国の歌手]]
[[Category:ペンシルバニア州の人物]]
[[Category:1934年生]]
{{Classic-stub}}
{{Classic-stub}}
{{Singer-stub}}


[[bg:Мерилин Хорн]]
[[bg:Мерилин Хорн]]

2008年11月8日 (土) 06:53時点における版

マリリン・ホーンMarilyn Horne, 1934年1月16日 - )は、アメリカペンシルヴァニア州ブラッドフォード生まれのメゾソプラノ歌手。ロッシーニ歌手として知られ、バロック時代の歴史的ベルカントオペラのレパートリーを現代に広げた。

初期の活動

南カリフォルニア大学でウィリアム・ヴェナード(William Vennard)に学んだ後、ロッテ・レーマンLotte Lehmann)に師事した。デビューは、1954年にミュージカル映画「カルメン・ジョーンズ」(Carmen Jones)の主役カルメンの歌の吹き替えという異色の形となったが、1954年にはロサンゼルス歌劇場で「売られた花嫁」のハタ役で初舞台を踏み、しばらくはコンサートを中心に活躍した。

1956年には初めてヨーロッパにわたり、翌年ドイツのゲルゼンキルヘン市立歌劇場(Oper Gelsenkirchen)と契約。1960年まで同歌劇場を中心に、ウィーン国立歌劇場やヴェネツィア音楽祭にも出演した。1960年にはアメリカに戻り、サンフランシスコ歌劇場、シカゴ歌劇場に出演。1964年にはイギリスロイヤル・オペラ・ハウスで「ヴォツェック(Wozzeck)」のマリー役を歌い、イギリス・デビューを果たす。

ベルカント歌手として

彼女の転機といえるのは1961年2月にベッリーニのオペラ「ベアトリーチェ・ディ・テンダ」(Beatrice di Tenda)のニューヨークのカーネギー・ホール公演でジョーン・サザーランドの相手役として抜擢されたことである。そこで彼女は今までのメゾソプラノ歌手よりも装飾歌唱を駆使した強靭な声でサザーランドと互角に渡り合った。

そして彼女の名声を確固たるものとしたのは、1964年カーネギー・ホールで「セミラーミデ」のアルサーチェ役としてサザーランドとの競演である。広い音域に渡るムラのない強靭な声で、装飾歌唱を自在に駆使してサザーランドとの緊迫した演技を披露したことにより、ロッシーニ歌手としての名声を受けた。サザーランドとのコンビでは、ベッリーニの「ノルマ (オペラ)」のアダルジーザ役でも競演した。

他にも1969年には、ロッシーニの「コリントの包囲」(Le siège de Corinthe )のネオクレ役を演じ、更には「タンクレーディ」のタイトルロールといった、ロッシーニの男装主役たちを復活させた事が大きな功績となる。

また、ヘンデルの「リナルド」やヴィヴァルディの「オルランド・フリオーゾ」等のバロックオペラの英雄役の発掘にも成功し、歴史的ベルカントオペラを聴衆に知らしめた功績も大きい。このように、オペラにおけるメゾソプラノ歌手の活躍の舞台を広げたことは、チェチーリア・バルトリヴェッセリーナ・カサロヴァジェニファー・ラーモア(Jennifer Larmore)等と言ったロッシーニを得意とするメゾソプラノ歌手を多く輩出する下地ともなった。このため、ホーンの活躍を機にメゾソプラノの歌唱技術が飛躍的に向上した事を指して、「ホーン以前」「ホーン以後」と分ける人もいる。

日本における評価

以上のような功績にもかかわらず、遅くとも1990年代までの日本におけるホーンの評価は、サザーランドのそれと同じくお世辞にも高いものとは言えなかった。その理由として、ホーンの声が強靭で野太いものだったこと(それこそがロッシーニのオペラの英雄役としての成功を収めた要因なのだが)に対する生理的な嫌悪感を日本の評論家たちが抱いていたことがあげられよう。特に彼女の声を「下品極まりないもの」とあげつらう評論家の意見に「右に倣え」と着いて行ったことにより、日本におけるベルカント・オペラの定着が遅れたことは日本のオペラ史上の不幸と言えよう。しかし、1990年にメトロポリタン歌劇場でロッシーニの「セミラーミデ」完全版の上演(これはNHKの「芸術劇場」でも1992年に放送された)で、アルサーチェ役を堂々とこなしていた事は日本の聴衆の記憶に残っていよう。

関連項目

関連書籍

  • 相澤啓三「オペラ・オペラ・オペラ! 天井桟敷のファンからの」洋泉社1999年

外部リンク