「鉄環絞首刑」の版間の差分

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[[Image:Fomfr garrote.jpg|thumb|フライブルグの拷問博物館]]
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[[Image:Garrote Execution - 1901.png|thumb|right|1901年に[[フィリピン]]で行われた様子。]]
[[Image:Garrote Execution - 1901.png|thumb|right|1901年に[[フィリピン]]で行われた様子。]]
'''鉄環絞首刑'''([[スペイン語]]:Garrote、ガローテ)とは[[椅子]]に座らせた[[死刑囚]]の首を鉄の輪で絞めて後ろを捻ることで首を絞める[[絞首刑]]の一種である。また、[[拷問]]道具としても使用される。
'''鉄環絞首刑'''[[スペイン語]]:Garrote、ガローテとは[[椅子]]に座らせた[[死刑囚]]の首を鉄の輪で絞めて後ろを捻ることで首を絞める[[絞首刑]]の一種である。また、[[拷問]]道具としても使用される。
[[スペイン]]の公式な死刑執行法として1978年に憲法改正死刑制度が廃止されるまで使用されていた。
[[スペイン]]の公式な[[死刑]]執行法として[[1978年]]に憲法改正により死刑制度が廃止されるまで使用されていた。
また、フィリピンなどのスペインの[[植民地]]でも行われていた。
また、[[フィリピン]]などのスペインの[[植民地]]でも行われていた。


スペインで最の使用は1974年3月2日の同日に[[アントニオ・ロペス・シエラ]]が[[サルバドール・プッチ・アンティック]]に執行したのと[[ホセ・モレノ]]が[[ハインツ・チェス]]に執行したのが最期となった
スペインで最の使用は、[[1974年]][[3月2日]]に[[アントニオ・ロペス・シエラ]]が[[サルバドール・プッチ・アンティック]]に執行したのと[[ホセ・モレノ]]が[[ハインツ・チェス]]に執行したである


かなり残酷な方法であり、映画[[サルバドールの朝]]の中で[[サルバドール・プッチ・アンティック]]へ執行される様子が詳細に再現されている。
かなり残酷な方法であり、映画[[サルバドールの朝]]の中でサルバドール・プッチ・アンティックへ執行される様子が詳細に再現されている。
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2008年9月28日 (日) 12:47時点における版

フライブルグの拷問博物館
1901年にフィリピンで行われた様子。

鉄環絞首刑スペイン語:Garrote、ガローテ)とは椅子に座らせた死刑囚の首を鉄の輪で絞めて後ろを捻ることで首を絞める絞首刑の一種である。また、拷問道具としても使用される。 スペインの公式な死刑執行法として1978年に憲法改正により死刑制度が廃止されるまで使用されていた。 また、フィリピンなどのスペインの植民地でも行われていた。

スペインで最後の使用は、1974年3月2日アントニオ・ロペス・シエラサルバドール・プッチ・アンティックに執行したのと、ホセ・モレノハインツ・チェスに執行したものである。

かなり残酷な方法であり、映画『サルバドールの朝』の中でサルバドール・プッチ・アンティックへ執行される様子が詳細に再現されている。