「御手洗冨士夫」の版間の差分

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[[1979年]]、キヤノンUSA社長に就任。
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[[1995年]]、前社長で創業者の一人御手洗毅の息子の御手洗肇の死去を受けて社長に就任する。
[[1995年]]、前社長で創業者の一人御手洗毅の息子の御手洗肇の死去を受けて社長(第6代)に就任する。


就任後、キャッシュフロー経営を取入れ、キヤノンの財務体質強化に乗り出す。手始めに液晶ディスプレイや光ディスク、パーソナルコンピュータ事業から撤退。経営資源をプリンター、カメラ、半導体製造装置等に集中させた。次に、[[ソニー]]で行われていた[[セル生産]]をキヤノンに導入。海外への生産流出で生産性の低下していた工場の生産効率強化に乗り出す。
就任後、キャッシュフロー経営を取入れ、キヤノンの財務体質強化に乗り出す。手始めに液晶ディスプレイや光ディスク、パーソナルコンピュータ事業から撤退。経営資源をプリンター、カメラ、半導体製造装置等に集中させた。次に、[[ソニー]]で行われていた[[セル生産]]をキヤノンに導入。海外への生産流出で生産性の低下していた工場の生産効率強化に乗り出す。

2005年5月20日 (金) 04:22時点における版

御手洗富士夫みたらいふじお1935年9月23日-)は、第5代キヤノン社長。日本経団連副会長。

経歴

1935年9月23日、大分県に生まれる。

1961年3月、中央大学法学部卒業。4月、キヤノンに入社。

1979年、キヤノンUSA社長に就任。

1995年、前社長で創業者の一人御手洗毅の息子の御手洗肇の死去を受けて社長(第6代)に就任する。

就任後、キャッシュフロー経営を取入れ、キヤノンの財務体質強化に乗り出す。手始めに液晶ディスプレイや光ディスク、パーソナルコンピュータ事業から撤退。経営資源をプリンター、カメラ、半導体製造装置等に集中させた。次に、ソニーで行われていたセル生産をキヤノンに導入。海外への生産流出で生産性の低下していた工場の生産効率強化に乗り出す。

評価

選択と集中、キャッシュフロー経営など他社に先駆けて経営方法を革新した手腕は評価されている。