「黒井敦史」の版間の差分
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'''黒井 敦史'''(くろい あつし、[[1969年]][[3月30日]] - )は、[[大阪府]]出身で[[全日本プロドリフト選手権]]([[D1グランプリ]])に参戦するプロのレーサー。チューニングガレージ[[River Side]]代表。愛称は「'''マッスル黒井'''」「'''あっちま'''」など多数。当時、マシンのカラーリングが黄色で「'''黄色いけど黒井'''(黒い)」と言われており、現在はTeam TOYOとしてマシンカラーリングがブルーのため、「'''青いけど黒井'''(黒い)」と言われている。 |
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2008年4月24日 (木) 14:47時点における版
黒井 敦史(くろい あつし、1969年3月30日 - )は、大阪府出身で全日本プロドリフト選手権(D1グランプリ)に参戦するプロのレーサー。チューニングガレージRiver Side代表。愛称は「マッスル黒井」「あっちま」など多数。当時、マシンのカラーリングが黄色で「黄色いけど黒井(黒い)」と言われており、現在はTeam TOYOとしてマシンカラーリングがブルーのため、「青いけど黒井(黒い)」と言われている。
人物
大阪のストリートドリフトの首領(ドン)的存在で、特に近畿地方のドリフターならば知らない者はいないとされるほどの超有名人。
同じD1ドライバーでは川畑真人、内海彰乃と仲がよいと言っている。特に川畑真人とは川畑が走り屋を始めた頃からの知り合い、師弟関係である。
D1グランプリには初年度から参戦し続けており、ワンビア(彼のワンビアはS13ボディをベースにして180SXフェイスにした仕様)にこだわって参戦している。当初は900psを炸裂させるRB26DETT改2.8ℓ+TO4Zタービンの組み合わせでその名を轟かせていたが、駆動系トラブルに見舞われることが多く、2003年まではあまりいい結果を残せずにいた。
しかし2004年度になると、パワーを下げて耐久性を向上させた仕様に変更。 また自らもさらに練習に打ち込むようになり、少しずつ台頭していくようになる。全7戦すべてで予選通過を果たし、このうち開幕戦では初勝利もマーク。SIGNAL AUTOの借り物のマシンとは言え、キッチリと乗りこなしており器用さをアピールした。
2006年では第2戦で準優勝を飾り、1JZ-GTE+TD06-25G仕様に変更した2007年では第2戦で見事に初優勝を飾った。
どちらかといえば高速コースが得意で、「壁際の魔術師」との異名を取るほどのていねいなマシンコントロールは見事。ただし「つねに全力」を出し切って走るタイプのためか凡ミスが多く、特に追走においてはまだまだ苦手意識があるようだ。しかしリラックスできたときの強さはD1界随一と言われているだけに、追走の技術をしっかりと磨ければシード入りどころかシリーズチャンピオンの可能性もうかがわせる。
マッスル黒井伝説
ドリフト天国が追いかけ続けてきた数々の伝説的なエピソード。ここでは「マッスル黒井伝説」としていくつか紹介していく。
- D1界でも1、2を争うほどの怪力の持ち主である。
- ・本人は弱ってしまったと言うが、現在でも握力は78kg、背筋281kgを叩き出す。
- ・ミッションを軽々と持ち上げてしまえる。「すごいよ黒井君」ではSRミッション(約80kg)を持ち上げている。
- ・エンジンの載せ換えには「丸一日あれば十分」と豪語する。
- ・リンゴ潰しができる。ドリフト天国公式サイトにおいてその模様の動画がUPされた。
- ・ステアリングやシフトレバー、サイドブレーキステッキが怪力のおかげでグニャグニャに曲がったことがある。
- ・実は奥さんも相当な怪力の持ち主。
- ・整備中にクルマの下敷きになったことがあるが、強靭な肉体のおかげで無事だったという[1]。
- 多芸多趣味であり、釣り・ラジコン・ボウリング・ビリヤードにおいて優勝経験がある。
- ・ボウリングを引退した理由として「カーブが曲げたかったが、マスターしてしまったらドキドキ感がなくなってつまらなくなり止めた。」と語っている。
- ・釣りの腕前はプロ級であり、アメリカの大手釣具メーカーからスポンサード支援を受けているほどである。
- ・ビリヤードはかなりの実力を持っており、「すごいよ黒井君」でその実力を見せた。1本10万円するキュースティック(シャチの骨を使用している)を所持している。
- 大阪のストリートレーサーだった時代、210km/h台と言うありえないスピードで直ドリをしたことがある。
何事にもつねに本気すぎる、らしい。