「ジャン・ポトン・ド・ザントライユ」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
12行目: 12行目:


==参考文献==
==参考文献==
* ジュール・ミシュレ『ジャンヌ・ダルク』[[中公文庫]]


{{DEFAULTSORT:しやん ほとん}}
ジュール・ミシュレ『ジャンヌ・ダルク』中公文庫


{{DEFAULTSORT:とらいゆ と ほとん しやん}}
[[Category:百年戦争]]
[[Category:百年戦争]]
[[Category:フランスの貴族]]
[[Category:ヴァロワ朝]]
[[Category:1390年生]]
[[Category:1390年生]]
[[Category:1461年没]]
[[Category:1461年没]]

2008年3月22日 (土) 11:09時点における版

15世紀の彩色本に描かれたラ・イルとザントライユ

ジャン・ポトン・ド・ザントライユJean Poton de Xaintrailles1390年頃 - 1461年10月7日)はガスコーニュ出身の百年戦争末期のフランス軍の指揮官で、後に元帥となった。ジャンヌ・ダルクの戦友である事で知られる。

略歴

ザントライユはジャンヌ・ダルクと共にオルレアン攻囲戦en:Siege of Orleans)でオルレアンを開放し、その後もジャルジョーの戦いen:Battle of Jargeau)、ボージャンシーの戦いen:Battle of Beaugency)、パテーの戦いなどで活躍した。また、囚われたジャンヌの奪回を試みた際にペロンヌフィリップ善良公の軍と戦い、敵軍を敗走させた。

ジュルブヴォワの戦いでは同郷のラ・イルと共に指揮官として活躍し、以降の百年戦争の局面ではギュイエンヌ再征服、ノルマンディー征服などの功績を上げた。

1461年10月7日、彼は後継者もなくボルドーのトロンペット城で死去した。彼の遺産は教会に寄付された。

また、彼はザントライユ城を再建した事でも知られる。

参考文献

  • ジュール・ミシュレ『ジャンヌ・ダルク』中公文庫