「サーバートン」の版間の差分
m編集の要約なし |
m →血統表 |
||
56行目: | 56行目: | ||
|f = Star Shoot<br />1898年 栗毛 |
|f = Star Shoot<br />1898年 栗毛 |
||
|m = Lady Sterling<br />1899年 栗毛 |
|m = Lady Sterling<br />1899年 栗毛 |
||
|ff = [[アイシングラス|Isinglass]]<br />1890年 鹿毛 |
|ff = [[アイシングラス (競走馬)|Isinglass]]<br />1890年 鹿毛 |
||
|fm = Astrology<br />1887年 栗毛 |
|fm = Astrology<br />1887年 栗毛 |
||
|mf = Hanover<br />1884年 栗毛 |
|mf = Hanover<br />1884年 栗毛 |
2007年12月22日 (土) 04:49時点における版
サーバートン | |
---|---|
1919年5月19日ピムリコ競馬場にて (J.ロフタス騎乗、プリークネスステークス) | |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 栗毛 |
生誕 | 1916年 |
死没 | 1937年10月30日 |
父 | スターシュート |
母 | レディースターリング |
生国 | アメリカ合衆国 |
生産者 |
John E. Madden Vivian A. Gooch |
馬主 |
J.E.Madden J.K.L.Ross |
調教師 |
H.Guy Bedwell(米) W.S.Walker(米) |
競走成績 | |
生涯成績 | 31戦13勝 |
獲得賞金 | 116,857ドル |
サーバートン(Sir Barton、1916年 - 1937年)は、1918年から1920年にかけて活躍したアメリカ合衆国の競走馬。1919年に史上初の現行アメリカ三冠を達成した。
戦績
サーバートンは1916年にケンタッキー州で生まれる。そこそこの良血馬で、父がアメリカリーディングサイアー5回を獲得したスターシュート、母がレディースターリングであった。生産者であるマッデンとグーチはこの仔馬を1918年にカナダ人のビジネスマン、ジョン・ケネス・ラソン・ロスに1万ドルで販売している。そしてH.G.ベドウェルに調教を受けることになった。
デビュー戦は2歳の6月に出走したトレモントステークス。ここを6着に敗退すると、以後も惨敗続きでフューチュリティステークスで2着に入ったのが唯一の好走である、それ以外は全て大差で負けるという芳しく無いものであった。
しかし、翌年サーバートンはケンタッキーダービーに出走し2番人気に押された。もっとも、これは僚馬ビリーケリーが注目されていたからであり(欧米では馬主単位で馬券が発行されるため、ビリーケリーとサーバートンで1つの馬券になる)、サーバートンはビリーケリーのペースメーカーに過ぎなかった。だが、結果はサーバートンがビリーケリーを5馬身差突き放し圧勝してしまった。ケンタッキーダービーがサーバートンの初勝利である。そして4日後にプリークネスステークスを4馬身差で連勝、さらにベルモントステークスにも5馬身差で楽勝、史上初の現アメリカ三冠を達成した。
ただしこの頃のアメリカは現在の三冠体系とは違いウィザーズステークス、ベルモントステークス、ローレンスリアライゼーションステークスの3レースを三冠としていたためサーバートン自身が三冠馬と呼ばれていたわけではないが、サーバートンはプリークネスステークスとベルモントステークスの間にウィザーズステークスも勝ち取っており、さらに現三冠に当る競走も既に相当の格を得ていたためこの年の米年度代表馬に選ばれている。
サーバートンは4歳になっても活躍し、サトラガハンデキャップではレコードでエクスターミネーターを破っている。だが、サーバートンの翌年に旧アメリカ三冠を達成し無敵を誇っていたマンノウォーとの新旧三冠馬によるマッチレースとなったケニルワースパークゴールドカップでは、マンノウォーに敗れてしまった。このため現在サーバートンが最強馬と呼ばれることは皆無である。レースはマンノウォーが先行し、その1馬身後方をサーバートンが追いかける展開、だがその差は縮まる事はなくマンノウォーが7馬身差でゴールした。サーバートンにとっては完敗であった。そしてその後3戦したが3,3,2着と勝てず引退している。
年度別競走成績
1918年(6戦0勝)
1919年(13戦8勝)
- アメリカ三冠達成(ケンタッキーダービー、プリークネスステークス、ベルモントステークス)、ウィザーズステークス、メリーランドハンディキャップ、ピムフォールシリアルの2と3
1920年(12戦5勝)
- サラトガハンディキャップ、ドミニオンハンディキャップ、マーチャンツ&シッツハンディキャップ
引退後
引退後は種牡馬入りしたがそれほどの成功を収めることはなかった、代表産駒はケンタッキーオークスに優勝したイースターストッキング。その後1937年に死亡し、ララミー山脈の山麓にある牧場に埋葬された。現在サーバートンを記念するメモリアルがワイオミング州のコンバースカウンティーのワシントンパークにある。
評価
エクリプス賞
- 1919年 - 年度代表馬受賞
表彰
- 1957年 - 米競馬の殿堂入り。
- 1999年 - ブラッドホース誌の選ぶ20世紀のアメリカ名馬100選において49位に選ばれる。
- ウッドバイン競馬場にサーバートンの名を冠した「サーバートンステークス」が設立されている。
血統表
サーバートンの血統(アイソミー系/Sterling4×3=18.75% Vandal5×5=6.25%(母内)) | (血統表の出典) | |||
父 Star Shoot 1898年 栗毛 |
父の父 Isinglass1890年 鹿毛 |
Isonomy | Sterling | |
Isola Bella | ||||
Dead-Lock | Wenlock | |||
Malpractice | ||||
父の母 Astrology1887年 栗毛 |
Hermit | Newminster | ||
Seclusion | ||||
Stella | Brother to Strafford | |||
Toxophilite Mare | ||||
母 Lady Sterling 1899年 栗毛 |
Hanover 1884年 栗毛 |
Hindoo | Virgil | |
Florence | ||||
Bourbon Belle | Bonnie Scotland | |||
Ella D. | ||||
母の母 Aquila1891年 |
Sterling | Oxford | ||
Whisper | ||||
Eagle | Phoenix | |||
Au Revoir F-No.9 |