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2007年12月19日 (水) 09:18時点における版
ジェローム・ロビンス(Jerome Robbins, 本名:Jerome Wilson Rabinowitz, 1918年10月11日-1998年7月29日)はアメリカ合衆国のバレエ・ダンス振付家、演出家。映画監督。
1918年10月11日にニューヨーク・マンハッタンで生まれる。フレッド・アステアに憧れてダンサーを志し、アントニー・チューダーにダンスを、エリア・カザンに演劇を学ぶ。 1940年アメリカン・バレエ・シアターでソリストとして踊る。 1944年「ファンシー・フリー」(音楽レナード・バーンスタイン)で振付家としてデビューするや一躍脚光を浴びる。「ファンシー・フリー」は「オン・ザ・タウン」(1944年)としてミュージカル化、『踊る大紐育』(1949年)として映画化された。
1949年にニューヨーク・シティ・バレエ団(NYCB)の副バレエ・マスターに就任。「檻」(1951年)「牧神の午後」(1953年)など多くの作品を振り付ける。同時にブロードウェイでも仕事をはじめ、「王様と私」(1951年)、「ウエスト・サイド・ストーリー」(1957年)、「屋根の上のバイオリン弾き」(1964年)など多くのヒット作品を手がけトニー賞を受賞している。1961年に「ウエスト・サイド・ストーリー」が映画化された際にはロバート・ワイズと共に監督を務め、アカデミー賞監督賞他9部門を受賞した。
ジョージ・バランシンの死後ピーター・マーティンズと共にNYCBのバレエ・マスターに就任(1983~1990年)
1998年にニューヨークで死亡した。
代表作
(※作品はミュージカル)
- 「ファンシー・フリー」(1944年)
- 「檻」(1951年)
- 「王様と私」※(1951年)
- 「牧神の午後」(1953年)
- 「ピーター・パン」※(1954年)
- 「コンサート」(1956年)
- 「ウエスト・サイド・ストーリー」※(1957年)
- 「ジプシー」※(1959年)
- 「屋根の上のバイオリン弾き」※(1964年)
- 「ダンシズ・アット・ギャザリング」(1969年)
- 「レクイエム・カルティクルス」(1972年)
- 「ウォーターミル」(1972年)
- 「アザー・ダンシズ」(1976年)
- 「ジェローム・ロビンス・ブロードウェイ」※(1991年)