「ピクシーズ」の版間の差分
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*[http://www.4ad.com/pixies/]The Pixies' Official 4AD Site 公式ホームページ(英語) |
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*[http://www.rockpoplyrics.com/pixies.php ピクシーズ歌詞] |
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2007年8月8日 (水) 08:43時点における版
ピクシーズ (Pixies)は、アメリカ・ボストンで結成されたロックバンドである。バンド名は、ギターのジョーイ・サンティアゴが適当に辞書を引いたところが「pixies」だったため。このバンドの正式名称は 'Pixies in Panoply'であり、略してPixiesと読んでいる。REMやソニック・ユース初期オルタナティブロックシーンに活躍したひとつのバンドである。ピクシーズに影響を受けたバンドは数多く、ニルヴァーナのカート・コバーン、U2のボノ、ウィーザー、ブラー、レディオヘッド、ストロークス、日本ではナンバーガールなどが挙げられる。特にカート・コバーンがピクシーズを崇拝していたのは有名な話で、ニルヴァーナの代表曲ともいえる"Smells Like Teen Spirit"は、カート・コバーンがピクシーズの"Where is My Mind?"をコピーしている時に出来た曲だといわれている。乾いた轟音ギターにブラック・フランシスの絶叫ボーカルが重なったサウンドは、後のインディーズミュージシャンに影響を与えた。ニルヴァーナやナンバーガールといったバンドの特徴でもある、AメロやBメロは静かに、そしてサビ部分で絶叫というボーカルスタイルは彼らが発祥である。1曲1曲は短く、2分もない曲も多い。
メンバー
- ブラック・フランシス(Black Francis):Vocal&Guitar …解散後はフランク・ブラック(Frank Black)に改名
- キム・ディール(Kim Deal):Bass&Vocal …1988年頃まではミセス・ジョン・マーフィー(Mrs. John Murphy)名義
- ジョーイ・サンティアゴ(Joey Santiago):Guitar
- デヴィッド・ラヴァリング(David Lovering):Drums
来歴
1986年にボストンの大学を中退したフランクが、同級生のジョーイをバンドに誘う。ドラムとベースを募集するために地元紙に〈ハスカー・ドゥとピーター、ポール&マリーが好きなメンバー求む〉と募集広告を掲載したところ、ドラムのデヴィッドと結婚披露式で出会ったキムが来た。ここに、現在のピクシーズが完成した。
デビューの為のデモテープを制作したところ、イギリスのレーベル“4AD“のオーナーに気に入られ、メジャーデビューと同時にミニアルバムのカム・オン・ピルグリム(Come on Pilgrim)を制作した。このタイトルは、同アルバム内のレヴァテイト・ミー(Levitate Me)の歌詞から取られたものである。このミニアルバム制作直後の1988年に、エンジニアにスティーブ・アルビニを迎えサーファ・ローザー(Surfer Rosa)を制作した。このアルバムでピクシーズは、世界の音楽界で巨大な名声を手に入れた。サードアルバムのドリトル(Doolittle)を1989年にリリースして、同アルバム内の ヒアー・カムズ・ユア・マン(Here Comes Your Man)と モンキー・ゴン・トゥー・ヘヴン(Monkey Gone to Heaven)はイギリスのヒットチャートTop10にランクインし、また北米チャートTop100にもランクインした。 1990年に、ピクシーズ最大のヒット曲ディグ・フォー・ファイアー(Dig for fire)を収録したボサノバ(Bossanova)を制作した。この頃からメンバー内に軋轢が発生するようになった。この頃にキムは、ブリーダーズ(Breeders)を結成する。1991年、トロンプ・ル・モンド(Trompe le Monde)を制作する。後の1993年にフランクは、ラジオのインタビューでバンドの解散を発表した。
解散後は、フランクはソロ名義で活動、キムはブリーダーズで活躍していた。2004年にはミネソタで再結成を果たし、フジ・ロック・フェスティバルにも出演し、2005年12月11日に東京スタジオコーストから、バンド初のジャパンツアーを敢行した。
ディスコグラフィ
- カム・オン・ピルグリム - Come on Pilgrim (1987年)EP
- サーファー・ローザ - Surfer Rosa (1988年)
- ドリトル - Doolittle (1989年)
- ボサノバ - Bossanova (1990年)
- トゥロンプ・ル・モンド(世界を騙せ) - Trompe le Monde (1991年)