「エリザベス1世 (イングランド女王)」の版間の差分

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[[1534年]]9月、[[ヘンリー8世 (イングランド王)|ヘンリー8世]]と二番目の王妃[[アン・ブーリン]]の間に生まれた。父のヘンリー8世はアン・ブーリンと結婚するため最初の王妃キャサリン・オブ・アラゴンとの離婚を[[教皇庁]]に要請するが許可がおりないために、教皇庁と断絶。イングランドが「独立したエンパイア」であることを宣言して、新たに「[[英国国教会]]」を樹立した。そして「国王至上法」によって、イングランド国内において国王こそ、政治的宗教的にも至高の存在であることを位置づけた。

2004年12月26日 (日) 16:29時点における版

ファイル:エリザベス一世 (ポートレイト).jpg
エリザベス1世
イングランドおよびアイルランド国王

エリザベス1世1533年9月7日 - 1603年3月24日)、別名グロリアーナは、イングランドテューダー朝4代目の王(在位、1558年 - 1603年)。大英帝国の基礎を築いた。

1534年9月、ヘンリー8世と二番目の王妃アン・ブーリンの間に生まれた。父のヘンリー8世はアン・ブーリンと結婚するため最初の王妃キャサリン・オブ・アラゴンとの離婚を教皇庁に要請するが許可がおりないために、教皇庁と断絶。イングランドが「独立したエンパイア」であることを宣言して、新たに「英国国教会」を樹立した。そして「国王至上法」によって、イングランド国内において国王こそ、政治的宗教的にも至高の存在であることを位置づけた。

エリザベスは、ヘンリー8世の死後過激な新教徒優遇政策をとったエドワード6世カトリックへの回帰を宣言して新教徒を迫害したメアリー1世に続いて1558年1月、即位した。父の政策を踏襲して再び「国王至上法」を再発令、「礼拝統一法」によって英国国教会を国家の主柱として位置づけた。1569年にはカトリックを信仰する北部諸侯の乱を鎮圧し、1570年教皇ピウス5世から正式に破門宣告されたことから、カトリック勢力により、何度となく暗殺の危険にさらされた。またこの時代には、フランシス・ドレークホーキンスなど優れた航海士が生れた。

その一方、1587年英国王位を請求していたスコットランド女王メアリー・ステュアートを女王暗殺未遂の容疑で処刑してスペインとの対立が深刻化、1588年スペイン無敵艦隊の侵攻を受けた。英国の艦隊は必ずしも盤石ではなかったが,軽快な小型艦と威力ある大砲を操り大勝利を収めた。スペイン海軍は嵐にも巻込まれ,スペインに戻れた軍艦はほとんどなかったと言う。以後スペインに代りイギリスが世界貿易に台頭して行く事になる。

晩年は「囲い込み」による大量の難民に対処しきれず、「貧民救済法」を発令するも効果がなかった。また、対スペイン戦やアイルランドの反乱鎮圧のために軍事費が増大して、社会不安が増加した。逼迫した財政立て直しのため独占許可状を乱発するも、議会の猛反対にあい、やむなく撤回するはめとなった。しかし文化的にはウィリアム・シェイクスピアをはじめとする文筆家を多数輩出して一大文化を築いた。

1603年3月、後継者に遠戚にあたるスコットランド王ジェームス6世を指名し、崩御した。

一生独身であったため処女王と呼ばれるが、愛人はおり、処女ではなかった。


関連

エリザベス(1998年 監督:シェカール・カプール)

前の王:
メアリー1世
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ジェームズ1世