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障害者、とくに[[視覚障害者]]と[[知的障害者]]は、一般の人たちとのふれあいも少なく、また、ほとんどの人が就業できない「異界」の生活者である。[[谷崎潤一郎]]の「春琴抄」や「盲目物語」など、盲人が主人公になっている作品はあるが、さすがの文豪も、本当の盲人の視点というのはわからないようである。
障害者、とくに[[視覚障害者]]と[[知的障害者]]は、一般の人たちとのふれあいも少なく、また、ほとんどの人が就業できない「異界」の生活者である。[[谷崎潤一郎]]の「春琴抄」や「盲目物語」など、盲人が主人公になっている作品はあるが、さすがの文豪も、本当の盲人の視点というのはわからないようである。


盲人による、盲人をテーマとした優れた文芸作品はほとんどない。盲人が使っている点字は、オールひらがなであり、大半の盲人は漢字の知識がないからである。2006年に文芸社から出版された「虹の輪」は、さほど優れた作品ではないが、視覚障害者が自分の視点で書いたもので、山梨日日新聞の読書欄に、「障害を持つ人にしかわからない心の機微を誠実に描いている」という書評が掲載された
盲人による、盲人をテーマとした優れた文芸作品はほとんどない。盲人が使っている点字は、オールひらがなであり、大半の盲人は漢字の知識がないからである。2006年に文芸社から出版された「虹の輪」は、さほど優れた作品ではないが、視覚障害者が自分の視点で書いたもので、山梨日日新聞の読書欄に、「障害を持つ人にしかわからない心の機微を誠実に描いている」という書評が掲載された。


[[Category:文学理論|いかい]]
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2007年6月14日 (木) 05:39時点における版

異界(いかい)は、彼岸, 浄土黄泉来世あの世などと同じく、人が死後に行くとされているころの意味である。しがし、フィクションの世界では、「死後」までは行かなくても、普通の人が暮らしている社会とは、視点、価値観、環境などが著しく異なっている世界のことを、異界と呼ぶことがある。

さまざまな異界

刑務所

やくざのあいだでは、刑務所の中に対して、外の社会を娑婆という。娑婆とは普通の人が暮らしている「この世」のことであるから、刑務所の塀の中を「あの世」つまり異界とミナしているわけである。実際、服役囚たちは、携帯電話もパソコンもつかえず、手紙のやりとりも検閲があるなど、一般社会からは著しく隔離さている。

やくざ

そうした意味では、やくざの世界もまた異界の一つである。国民が社会生活を営むよりどころとしている法に対し、全く遵守する意思を持たず、独自の掟を持っている。また、一種の符牒である独特のやくざ言葉が使われている。東映のヤクザ映画や、やくざをテーマにしたエンターテインメント小説に人気があるのは、こうした違った価値観を持つ人たちの視点で社会を見るおもしろさがあるからだろう。

隔離施設

異界ものの小説として有名なものに、まず北條民雄いのちの初夜を初めとする一連の作品がある。らい(ハンセン病)の隔離施設は、刑務所以上の異界である。囚人は刑期が開けラバ出所できるが、重症のハンセン病患者は、死ぬまで外へ出られないからである。しかし、この作品群は、究極の状態に追いつめられた人間の心理を、鋭いタッチで描いている。

被差別部落

中上健次の「岬」や「枯木灘」など、関西などでは今でもしばしば問題になっている部落も異界といえる。

盲人の社会

障害者、とくに視覚障害者知的障害者は、一般の人たちとのふれあいも少なく、また、ほとんどの人が就業できない「異界」の生活者である。谷崎潤一郎の「春琴抄」や「盲目物語」など、盲人が主人公になっている作品はあるが、さすがの文豪も、本当の盲人の視点というのはわからないようである。

盲人による、盲人をテーマとした優れた文芸作品はほとんどない。盲人が使っている点字は、オールひらがなであり、大半の盲人は漢字の知識がないからである。2006年に文芸社から出版された「虹の輪」は、さほど優れた作品ではないが、視覚障害者が自分の視点で書いたもので、山梨日日新聞の読書欄に、「障害を持つ人にしかわからない心の機微を誠実に描いている」という書評が掲載された。