湯淺佑一

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湯浅 佑一(ゆあさ ゆういち、1906年12月17日 - 1994年4月17日)は、日本の実業家ユアサコーポレーションユアサ商事社長、会長を務めた。京都府出身[1]

経歴・人物[編集]

1930年京都帝国大学法学部を中退し、父親が経営する金物問屋湯浅七左衛門商店に入社した[1]。取締役、専務を経て、1945年から社長に就任し、1983年から会長に就任した[1]

関西経済同友会初代代表幹事、関西経済連合会副会長、関西経営者協会会長、湯川記念財団理事長などを歴任し、関西財界の重鎮として活躍した[1][2]。また、1975年から日本高校野球連盟最高顧問も務めた[1]

1964年紺綬褒章を受章し、1973年藍綬褒章を受章し、1978年勲二等瑞宝章を受章し、1987年に第3回ヒューマン大賞を受賞し、1989年に京都府スポーツ賞特別栄誉賞を授賞した[1]

1994年4月17日心筋梗塞のために死去[2]。87歳没。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f 「現代物故者事典 1994-1996 p605」
  2. ^ a b 1994年 4月19日 日本経済新聞 朝刊 p27