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渡辺洋 (陸軍軍人)

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渡辺 洋(わたなべ ひろし、1894年〈明治27年〉11月14日[1] - 1997年〈平成9年〉1月18日[2])は大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴

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山口県出身[1][3]陸軍士官学校第27期卒業、陸軍歩兵少尉に任官[1][3]陸軍大学校第36期卒業[1][3]

第4軍参謀長の時、大東亜戦争に突入[1]。第12歩兵団長、第2方面軍参謀長、第3方面軍参謀長を務め、第47師団長に親補され、済南での守備に就いた[1]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]

年譜

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  • 1937年(昭和12年)3月1日 - 陸軍大学校教官[3]
  • 1938年(昭和13年)3月1日 - 陸軍歩兵大佐[3]
  • 1939年(昭和14年)8月1日 - 第1師団参謀長[3]
  • 1940年(昭和15年)9月9日 - 第4軍高級参謀[3]
  • 1941年(昭和16年)7月7日 - 第4軍参謀副長[3]
  • 1941年(昭和16年)8月25日 - 陸軍少将[3]。12月1日 - 第4軍参謀長[3]
  • 1942年(昭和17年)8月1日 - 第12歩兵団長[3]。11月9日 - 第2方面軍参謀長[3]
  • 1943年(昭和18年)10月29日 - 第3方面軍参謀長[3]
  • 1944年(昭和19年)10月26日 - 陸軍中将・第47師団[3]

栄典

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勲章

脚注

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  1. ^ a b c d e f 福川 2001, 812頁.
  2. ^ 『現代物故者事典 1997~1999』(日外アソシエーツ、2000年)p.669
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n 外山 1981, 374頁.
  4. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」190頁。
  5. ^ 『官報』第4705号「叙任及辞令」1942年9月14日。

参考文献

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  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026