江湖要一
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江湖 要一(こうこ よういち、1898年(明治31年)7月14日[1] - 1970年(昭和45年)2月9日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
[編集]佐賀県出身[1][2]。1921年(大正10年)7月、陸軍士官学校第33期卒業[3]。1933年(昭和8年)陸軍大学校第45期卒業[4]。
1939年(昭和14年)8月、ブラジル大使館附武官となり、1941年(昭和16年)7月、陸軍大学校教官を経て、同年8月、陸軍大佐に進む[2]。大東亜戦争が勃発すると1943年(昭和18年)6月、第25軍高級参謀に補され[2]、ジャワの守備に当たった[1]。ついで参謀本部欧米課長に補され、1945年(昭和20年)6月10日、陸軍少将に進み、同月16日、東京防衛軍参謀長となり、本土決戦に備える中終戦を迎えた[1]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。