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檜垣裕志

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

檜垣 裕志(ひがき ゆうし、1970年 - )は、日本の元プロサッカー選手、サッカー指導者である。

石川県出身で、ブラジルでプロ契約を結んだ日本人選手として2人目となった[1]

2024年8月現在、明光サッカースクールでサッカー指導を行っている[2]

経歴

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サッカー留学とブラジルでのキャリア

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1990年に高等学校を卒業後、ブラジルにサッカー留学。サッカーを始めたのが17歳と遅く、ブラジル渡航当時はリフティングもまともにできなかったという[3]。ブラジル一部リーグのクラブ、ポルトゲーザのジュニオールチームに練習生として参加したが、当初は技術の拙い檜垣は他の選手から見下され、その打開策を相談したコーチから「テニスボールによるリフティング」を指示されてやり遂げた[3]。また、日本では両方の足を均等に使えるよう教えられたが、それとは異なるブラジルの指導法を見て、自身も利き足の精度を高めることに集中した[3]

1993年、ポルトゲーザとプロ契約を結び、ブラジル一部リーグでプレーした日本人選手として2人目となった[1]

1995年、ポルトゲーザでサンパウロ州選手権大会準優勝を果たした後、1996年にはSEマツバラに移籍[4]

1996年には鳥栖フューチャーズへの入団が内定していたが、チーム解散のため実現しなかった[1]

その後、1998年にはジュベントスに移籍[4]

引退後の活動

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引退後、FIFAおよびCBF公認のコーチライセンスを取得し、サッカー指導者としての道を歩む[1]。日本国内で若手選手の育成に携わっており、明光サッカースクールで指導を行っている[2]。 2024年には、俳優の永山瑛太が自身のInstagramで檜垣とサッカーの練習をしたことを紹介した[5]

プレーの特徴

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檜垣は特に右足でのボールコントロールや的確なパス、スピードに優れていた。ブラジルでのキャリアにおいて、「和製ロマーリオ」として知られたが、この評価は主に現地メディアによるものである[4]

脚注

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  1. ^ a b c d “日本サッカーに新たな歴史刻む 檜垣裕志氏 九州のクラブに”. 佐賀新聞. (2023年7月18日). https://www.saga-s.co.jp/articles/-/1044731#goog_rewarded 2024年8月31日閲覧。 
  2. ^ a b 明光サッカースクール公式ウェブサイト”. 2024年8月31日閲覧。
  3. ^ a b c 加部究 (2018年2月28日). “17歳でサッカーを始めブラジルへ 「リフティングができない」日本人が見た“本物の技術””. THE ANSWER. 2024年8月31日閲覧。
  4. ^ a b c 檜垣裕志 - ブラジルでのキャリア”. 2024年8月31日閲覧。
  5. ^ “永山瑛太 元プロ選手と感動のサッカー朝練「ずっと右足だけ強化していたら俳優になっていなかったかも」”. スポーツニッポン. (2024年4月5日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2024/04/05/kiji/20240405s00041000264000c.html 2024年8月31日閲覧。 

外部リンク

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