楊文愷

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楊文愷
プロフィール
出生: 1883年光緒9年)
死去: 1965年6月
中華人民共和国
出身地: 直隷省順天府永清県
職業: 軍人・政治家
各種表記
繁体字 楊文愷
簡体字 杨文恺
拼音 Yáng Wénkǎi
ラテン字 Yang Wen-k'ai
和名表記: よう ぶんかい
発音転記: ヤン ウェンカイ
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楊 文愷(よう ぶんがい)は清末中華民国の軍人・政治家。北京政府直隷派に属し、後に農商総長をつとめた。建章

事跡[編集]

清末の秀才で、後に日本に留学する。陸軍士官学校第6期歩兵科を卒業した。その後、禁衛軍一等参謀、直隷都督府軍務課課長、湖北督軍公署軍務課課長兼漢陽兵工廠総弁を歴任した。この経歴から、直隷派に属する王占元の幕僚となっている。

1921年民国10年)、やはり直隷派である孫伝芳配下に転じる。翌年、孫に随従して福建省に入り、福建省督軍署参議に任命された。1924年(民国13年)、越威将軍の位を授与される。その翌年には、東南五省聯軍総司令部総参議となった。

1926年(民国15年)5月、顔恵慶内閣で農商総長に任じられた。続く杜錫珪代理内閣、顧維鈞代理内閣でもその地位にあった。楊文愷は、潘復内閣が成立した1927年(民国16年)6月に辞任している。この内閣では農商部が改組され、農工部と実業部に分離された。

以後、楊文愷は天津に寓居した。中華人民共和国成立後も同地に留まり、天津文史館館員となっている。

1965年6月、病没。享年83。

参考文献[編集]

  • 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1 
  • 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1 
 中華民国の旗 中華民国北京政府
先代
寇遐
農商総長(否認)
1926年3月 - 1926年5月
次代
高凌霨
先代
高凌霨
農商総長
1926年5月 - 1927年1月
次代
劉尚清(農工総長)
張景恵(実業総長)