楊任

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楊 任(よう じん)は、中国後漢時代末期の人物。張魯配下の武将。

建安20年(215年)7月、張魯は張衛楊昂らを陽平関の守備に当たらせていたが、曹操配下の高祚らの夜襲を受けて大敗した(陽平関の戦い)。正史三国志』においては、楊任はこの時に斬られた将としてのみ名が伝わる[1]

三国志演義[編集]

羅貫中の小説『三国志演義』では楊昂と同格の大将として登場し、陽平関付近の砦を守る。曹操軍との諸戦では夏侯淵張郃らの軍に夜襲をかけ、勝利を収めた。その後、曹操が撤退したとの情報が入ると、楊昂が楊任の反対を振り切って追撃。濃霧で立ち往生している間に、夏侯淵に砦を奪われる。楊任はこの救援に訪れたが、多勢に無勢で敗走。楊昂は張郃に殺され、陽平関を守っていた張衛も撤退する。

復讐に燃える楊任は、再度軍勢を預かって出撃。夏侯淵との一騎打ちとなり、三十余合打ち合うが、最期は拖刀の計[2]にかかって斬り落とされる[3]

脚注[編集]

  1. ^ 陳寿撰、裴松之注『三国志』魏書 武帝紀
  2. ^ 刀をひきずって敗走するふりをし、いきなり振り返って敵をやっつける計略。ちくま文庫『三国志演義 4』386頁より。
  3. ^ s:zh:三國演義/第067回