李蓋

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李 蓋(り がい、生没年不詳)は、北魏官僚本貫中山郡安喜県

経歴[編集]

若くして名を知られた。太武帝の妹の武威公主が、北涼沮渠牧犍の妻となっていたが、太武帝が北涼を平定するにあたって、李蓋が公主について密計を通じて助けたため、寵遇されるようになった。李蓋は太武帝の命を受けて公主を妻に迎え、先妻の与氏はこのため家を出された。後に侍中・駙馬都尉の任を加えられ、殿中尚書・都官尚書を歴任し、左将軍の号を受け、南郡公に封じられた。尚書左僕射に上り、在官のまま死去した。征南大将軍・定州刺史の位を追贈され、中山王に追封された。は荘といった。

子女[編集]

伝記資料[編集]

  • 魏書』巻83上 列伝第71上
  • 北史』巻80 列伝第68