本多副昌
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時代 | 江戸時代 |
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生誕 | 寛政6年9月26日(1794年10月19日) |
死没 | 元治元年9月30日(1864年10月30日) |
改名 | 寛次郎(幼名)→久平→副昌 |
別名 | 大蔵、内蔵助 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 松平治好→斉承→斉善→慶永 |
藩 | 福井藩家老 |
氏族 | 本多氏 |
父母 | 父:本多副久、母:本多副邵の娘 |
兄弟 | 副矩、善静 |
妻 | 本多副充の娘 |
子 | 副尚、富恭、松平正方室 |
本多 副昌 (ほんだ すけまさ) は、福井藩家老。越前府中本多家(本多内蔵助家)第7代当主。
経歴
[編集]寛政6年(1794年)9月26日福井藩家老本多副充の養子副久(副充の兄副脩の子)の次男として府中に生まれる。父副久は病弱のために家督を継ぐことが出来なかった。文化7年(1810年)11月名を久平から副昌に改める。文化15年(1818年)4月本多副久養女と結婚。文政3年(1820年)養祖父副充の隠居により家督相続し府中2万石の領主となる。安政3年(1856年)病により隠居して家督を嫡男富恭に譲る。元治元年(1864年)9月30日没。享年71。娘は福井藩家老松平主馬正方に嫁いだ。
参考文献
[編集]- 「武生市史」[要文献特定詳細情報]