曹剛川
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曹剛川 曹刚川 曹剛川 Cao Gangchuan | |
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2007年11月5日 | |
生年月日 | 1935年12月(88歳) |
出生地 | 中華民国 河南省舞陽県 |
出身校 |
解放軍南京第三砲兵軍械技術学校 第一軍械技術学校 |
所属政党 | 中国共産党 |
在任期間 | 2003年3月 - 2008年3月 |
最高指導者 | 胡錦濤 |
曹剛川 | |
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生誕 |
1935年12月(88歳) 中華民国 河南省舞陽県 |
所属組織 | 中国人民解放軍陸軍 |
軍歴 | 1954年7月 - |
最終階級 | 陸軍上将 |
指揮 |
前国防部部長 総装備部部長 |
曹剛川 | |
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プロフィール | |
出生: | 1935年12月(88歳) |
出身地: | 中華民国 河南省舞陽県 |
職業: | 軍人 |
各種表記 | |
繁体字: | 曹剛川 |
簡体字: | 曹刚川 |
拼音: | Cáo Gāngchuān |
和名表記: | そう ごうせん |
発音転記: | ツァオ・ガンチュアン |
曹 剛川(そう ごうせん、簡体字:曹刚川、繁体字:曹剛川、英語:Cao Gangchuan、ツァオ・ガンチュアン、1935年12月 - )は、中華人民共和国の政治家、軍人。軍首脳の1人で階級は上将である。装備関係部隊で長期に渡ってし、副総参謀長、国防科学技術工業委員会主任、装備部部長の要職を経て、国防部長、党中央政治局員、党中央軍事委員会副主席を務めた。なお第15・16期党中央委員である。
経歴
[編集]- 1954年7月 中国人民解放軍に入隊する。
- 1954年7月~1956年11月 解放軍南京第三砲兵軍械技術学校、第一軍械技術学校に入校する。卒業後、第一軍械技術学校の教員となる。
- 1956年7月 中国共産党に入党する。
- 1956年11月~1957年9月 大連ロシア語専科学校に入校する。
- 1957年9月~1963年10月 ソ連砲兵軍事アカデミーに留学する。
- 1963年10月~1969年10月 総後勤部軍械部弾薬処助理員となる。
- 1969年10月~1975年10月 総後勤部装備部兵工処助理員となる。
- 1975年10月~1979年 総参謀部装備部総合計画処参謀となる。
- 1979年~1982年8月 総参謀部装備部総合計画処副処長となる。
- 1982年8月~1989年7月 総参謀部装備部副部長となる。
- 1988年 少将となる。
- 1989年7月~1990年8月 総参謀部軍務部部長となる。
- 1990年 国防大学高級幹部哲学転訓班で学ぶ。
- 1990年8月~1992年11月 軍事委員会軍品貿易弁公室主任となる。
- 1992年11月~1996年11月 解放軍副総参謀長となる。
- 1994年~1996年 総参党委員会副書記を兼任する。
- 1993年 中将となる。
- 1996年11月~1998年4月 国防科学技術工業委員会主任、党委員会書記となる。
- 1998年4月 解放軍総装備部部長、党委員会書記となる。
- 1998年10月 党中央軍事委員会委員となる。
- 1998年 上将となる。
- 2002年11月 党中央政治局委員、中央軍事委員会副主席となる。
- 2003年3月 国務委員兼国防部長となる。
- 2008年3月 国務委員兼国防部長、中央軍事委員会副主席を退任した。
訪日
[編集]2007年8月29日に日本を訪問し、翌日の30日に高村正彦防衛大臣と4年振りとなる日中防衛首脳会談を行った。また安倍晋三首相との会談も行われた。
中華人民共和国
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