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旧秋田藩主佐竹氏別邸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
旧秋田藩主佐竹氏別邸(如斯亭)の日本庭園

旧秋田藩主佐竹氏別邸(きゅうあきたはんしゅさたけしべってい)は、秋田県秋田市旭川南町に所在する、久保田藩(秋田藩)主佐竹氏の別邸およびその庭園。附属茶屋を含む。通称「如斯亭(じょしてい)」の名は本来1棟の建物を指す名称であったが、今では建物をめぐる庭園を指す名称として用いられている。かつては「唐見殿(からみでん)」とも称された。

概要

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2017年に復元された如斯亭の主屋

佐竹氏の居城であった久保田城(現在の千秋公園)の北、約1キロメートルに位置する。藩士の大嶋小助が3代藩主佐竹義処より下賜された土地に建てた別荘を起源とし、当初は「得月亭(とくげつてい)」と称された。5代義峯の代に藩主が遊猟する際の休憩所として用いられたため、藩に献上され、庭園や建物が整備された。9代義和の時代にほぼ現在の姿へ庭園が整備され、藩士の那珂通博に園内十五景(紅霞洞、靄然軒、夕陽坡、観耕台、清風嶺、佩玉矼、仁源泉、超雪渓、玉鑑池、弓字径、渇虎石、巨鼈島、星槎橋、幽琴澗、清音亭)を選ばせた上で名を「如斯亭」と改めた[注釈 1]。この頃から久保田藩の迎賓館のような役割を果たすとともに、文人墨客たちの良き交遊の場として利用された。庭前の巨石は高野石、また、池の中に配置された雪見灯籠は250年ほど前のもので、東北地方における遠州流庭園の名園とされる。

廃藩置県により佐竹氏が東京へ転居した際、庭園は藩士の那波氏へ譲渡された。以降は民間所有となったが、1947年(昭和22年)に所有権を得た丸野内氏から2010年(平成22年)3月29日に秋田市へ無償譲渡された[2]

1952年(昭和27年)11月1日に県の史跡2007年(平成19年)2月6日には国の名勝に指定されている[3]

周辺は、かつては閑静な田園地帯だったが、今日では住宅が密集する市街地となっている。

沿革

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  • 元禄年間(1688 - 1703年) - 3代藩主佐竹義処、家臣の大嶋小助に土地を下賜し、大嶋氏が別荘を建設する。
  • 寛保元年(1741年) - 大嶋氏から5代藩主義峯に献納され、藩主の御休所となる。
  • この間 - 倹約のため一時衰退する。
  • 安永4年(1775年) - 8代藩主義敦により復興される。
  • 年不詳 - 9代藩主義和が庭園として整備。那珂通博が園内十五景を選定すると共に、「如斯亭」と命名する。
  • 明治4年(1871年) - 廃藩置県に伴い、旧藩主義堯より那波氏へ譲渡される。
  • 1947年(昭和22年) - 丸野内氏の所有となる。
  • 1952年(昭和27年)11月1日 - 秋田県史跡に指定される。
  • 1964年(昭和39年) - 旅館 如斯亭が開業。
  • 1990年(平成2年) - 旅館 如斯亭が廃業。
  • 2007年(平成19年)2月6日 - 国の名勝に指定される。
  • 2010年(平成22年)3月29日 - 丸野内氏から秋田市へ寄贈される。
  • 2011年(平成23年)2月7日 - 国の名勝に追加指定される。

脚注

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注釈

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  1. ^ 庭園は南に主屋である如斯亭を配置して北を正面とし、北方より東方にかけて新城山や太平山系を望見できるよう設計されている[1]

出典

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外部リンク

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座標: 北緯39度44分3.0秒 東経140度7分44.0秒 / 北緯39.734167度 東経140.128889度 / 39.734167; 140.128889