新影幕屋流

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新影幕屋流(しんかげまくやりゅう)とは、松田清栄(松田織部之助)の系統の新陰流松田派新陰流松田方新陰流幕屋新陰流とも呼ばれる。

松田清栄は大和の豪族・戒重氏に仕え(戒重氏の重臣・幕屋氏に仕えていたともいう)、柳生宗厳と同じく大和での上泉信綱の門人で剣の達人であった。戒重氏が筒井順慶に滅ぼされると、同門の柳生宗厳を頼ったが、大和の領主となった豊臣秀長に柳生氏の検地逃れを密告したため、柳生氏の家臣に殺害されたという。

清栄の剣技は子孫に受け継がれ、清栄のひ孫の幕屋清信(幕屋大休)が越前松平家に仕えたことにより、福井藩に伝えられた。

清信の弟の幕屋与右衛門江戸に出て道場を開き、寛文期の剣の達人として知られた。江戸で幕屋与右衛門は7人に同時に斬りかかられたが、短刀のみで6名を刺殺し(残り1名は負傷しながら逃走)撃退したと伝えられている。

清信の孫の幕屋貞清は福井藩を去ったが、清信は藩主に流儀を残すことを願い出、横山記章に流儀を継承させて福井藩に新影幕屋流を残した。以後、横山家は福井藩の剣術師家の一つとして当流を伝えた。

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