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斎藤公正

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

斎藤 公正(さいとう こうせい、1918年11月1日[1] - 1974年2月15日[2])は、池上通信機創業者。神奈川県出身[1]

慶應義塾大学経済学部卒業後、大日本帝国海軍主計科に入り、海軍経理学校でも学んだ[1]横須賀鎮守府大湊海軍航空隊滋賀海軍航空隊で主計長を務め、終戦時は主計少佐であった[1]

1946年、池上通信機材製作所(現・池上通信機)を設立。一代で一流メーカーに育て上げた。

1974年2月15日、神奈川県藤沢市江の島ヨットハーバー前の駐車場を乗用車で二・三周した後、料金所脇から猛スピードで岸壁に衝突し、死亡した。労働組合の問題で悩んでおり、自殺ではないかとされている[3]

脚注

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  1. ^ a b c d 『人事興信録 第25版 上』人事興信所、1969年、さ108頁。
  2. ^ 『昭和物故人名録 : 昭和元年~54年』日外アソシエーツ、1983年、p.216。
  3. ^ 『関西経協』第28巻第6号、関西経営者協会、1974年6月、p.25。

外部リンク

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