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慕容 詳(ぼよう しょう、? - 建始元年(397年))は、五胡十六国時代の後燕の僭称皇帝(在位:397年)。燕文明帝慕容皝の曾孫。
恵愍帝慕容宝から開封公に封じられており、中山を守っていた。その後、慕容宝に逆らった清河王慕容会が中山に逃げてくると、これを殺害した。
永康2年(397年)3月、慕容宝が北魏軍に敗れて薊に逃れた際、慕容詳は中山で燕帝を僭称し、百官を置いて年号を建始とした。しかし、その悪政ぶりに餓死者が数10人となり、9月、慕容麟の率いる丁零の衆に攻め込まれ、親党300余人とともに殺された。