コンテンツにスキップ

後閑菊野

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

後閑 菊野(ごかん きくの、1866年11月15日(慶応2年10月9日) - 1931年昭和6年)6月21日)[1]は、明治から昭和にかけての女性教育者桜蔭女学校の初代校長。名はキクノとも表記[2]

経歴

[編集]

播磨国(現・兵庫県)出身。東京女子師範学校小学師範科、東京女子高等師範学校卒業。同校教師となり、国語修身作法などを担当する[1]

1911年(明治44年)2月、東京女子高等師範学校教授となる[3]

1918年(大正7年)4月、宮内省御用掛となり[4]皇太子妃に内定した久邇宮良子女王の教育主任を務める。

1924年(大正13年)3月、東京女子高等師範学校の同窓会組織「桜蔭会」が設立した桜蔭女学校の初代校長となる[2]

著書

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b コトバンク.
  2. ^ a b 沿革”. 桜蔭学園. 2018年9月22日閲覧。
  3. ^ 『官報』第8300号 1911年2月24日
  4. ^ 『官報』第1708号 1918年4月16日

参考文献

[編集]
  • 後閑菊野”. コトバンク. 2018年9月22日閲覧。