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張 忠一(ちょう ただかず、1881年7月3日[1] - 没年不詳)は、日本の鉄道技術者。
山口県士族張至誠の長男として生まれる[2]。1901年福岡県立中学修猷館[3]を経て、1908年7月東京帝国大学工科大学応用化学科を卒業[4]。
四日市製紙、富士製紙などに勤務した後、1912年鉄道院の技手となり、鉄道技師に進み、鉄道大臣官房研究所兼経理局第二課勤務を経て、1929年鉄道大臣官房研究所第一科長に就任。1935年5月退官する[2]。
- ^ 『人事興信録第10版』(人事興信所、1934年) チ-16頁
- ^ a b 『人事興信録第11版』(人事興信所、1937年) チ-17頁
- ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』(修猷館同窓会、2020年)同窓会員4頁
- ^ 『東京帝国大学一覧(從大正7年至大正8年)』(東京帝国大学、1919年)學士及卒業生姓名215頁