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建福寺 (羽生市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
建福寺
所在地 埼玉県羽生市1-3-21
位置 北緯36度10分12.2秒 東経139度32分07.7秒 / 北緯36.170056度 東経139.535472度 / 36.170056; 139.535472座標: 北緯36度10分12.2秒 東経139度32分07.7秒 / 北緯36.170056度 東経139.535472度 / 36.170056; 139.535472
山号 薬王山
宗派 曹洞宗
本尊 釈迦牟尼仏
創建年 天正年間(1573年 - 1592年
開山 各芸洞麟
法人番号 2030005005196 ウィキデータを編集
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建福寺(けんぷくじ)は、埼玉県羽生市にある曹洞宗寺院

歴史

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天正年間(1573年 - 1592年)、各芸洞麟[1]によって開山された[2]

『田舎教師』ゆかりの寺

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当寺は田山花袋の作品『田舎教師』ゆかりの寺としても知られている。この『田舎教師』のモデルとなった小林秀三(作中では「林清三」)は、家の貧困のため埼玉県第二中学校(現・埼玉県立熊谷高等学校)卒業後は、高等小学校代用教員となった。代用教員在職中に、当寺に住み込んで通勤していた。しかし、志半ばにして世を去った。秀三の死後、花袋は当寺を訪れ、義兄で住職太田玉茗(作中では「山形古城」)から、秀三が遺した日記を目にし、創作意欲がかき立てられて『田舎教師』の執筆に至った[2]

境内には、川端康成片岡鉄兵横光利一が『田舎教師』ゆかりの地を巡礼したことを記念する記念碑が建てられている[2]

文化財

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  • 隠元の墨跡(羽生市指定有形文化財 昭和44年3月20日指定)[3]
  • 田舎教師の墓(羽生市指定史跡 昭和31年9月1日指定)[3]

交通アクセス

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脚注

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  1. ^ 「藝(げい)」の新字体ではなく、「芸(うん)」という「藝」とは別の漢字である。よって「各藝洞麟(かくげいとうりん)」ではなく、「各芸洞麟(かくうんとうりん)」である。
  2. ^ a b c 渡辺良夫 著『古利根の寺々(さきたま双書)』さきたま出版会、1995年、40-41p
  3. ^ a b 羽生市の指定文化財羽生市

参考文献

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  • 渡辺良夫 著『古利根の寺々(さきたま双書)』さきたま出版会、1995年