尾崎殿

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尾崎殿(おざきどの、生没年不詳[注釈 1])は、安土桃山時代女性下総の大名千葉親胤正室

生涯[編集]

父は北条氏康

婚姻は元服[注釈 2]の可能性が高いとされている。この婚姻時期は、天文23年(1554年)7月に次いで氏康の娘では早い[2]。 『小田原編年録』所収系図では尾崎殿と注記してあるが、その由来については不明[3]

親胤死去にともない、小田原に戻ったとみられるが、そうした動向を伝えるものはまったくない[1]

円妙院について[編集]

氏政の妹とされる人物で動向が不明な者に円妙院がいる[1]

『北条家過去帳』には慶長9年(1604年)4月30日に逆修しており、その時点で生存していたこと、法名を円妙院殿明庵宗勝大姉といったことがわかる[3]

これが尾崎殿に当たる可能性もある[1]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 黒田基樹は天文11年(1542年)頃の生まれと推測している[1]
  2. ^ 千葉親胤は天文23年(1554年)から翌弘治元年(1555年)の間に元服したが、同3年(1557年)に死去。

出典[編集]

  1. ^ a b c d 黒田 2017, pp. 106.
  2. ^ 黒田 2017, pp. 107.
  3. ^ a b 黒田 2007, pp. 89.

参考文献[編集]

  • 黒田基樹『北条早雲とその一族』新人物往来社、2007年7月。ISBN 978-4-404-03458-8 
  • 黒田基樹『北条氏康の妻 瑞渓院 政略結婚から見る戦国大名』平凡社〈中世から近世へ〉、2017年12月。ISBN 978-4-582-47736-8