小西昭之
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小西 昭之 | |
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生誕 | 日本・長野県 |
教育 | 東京大学 |
職業 | 毎日新聞記者 |
小西 昭之(こにし あきゆき、1931年4月7日 - 1994年8月1日)は、日本のジャーナリスト。
来歴
[編集]長野県出身。長野県松本県ヶ丘高等学校[1]、東京大学教養学部教養学科卒業後[2]、 1955年毎日新聞入社。イギリス留学(ロンドン大学政治経済大学院修了)、外信部記者、ロンドン特派員を経て、北米総局長、外信部部長を歴任。
人物
[編集]縣陵新聞部時代(1949年~1951年)、小西が部長を務めた1950年の中日新聞社主催全国新聞コンクールで第2位、 1951年の朝日新聞社主催全国新聞コンクールで第3位の成績を残している[3]。
著書
[編集]- 『CIAの逆襲―ドキュメント「パーレビ復権」 イラン1953年 (1980年) カーミット・ルーズベルト』対訳 (毎日新聞1980/12)
- 『昨日の英国・明日の英国 (異文化を知る一冊 E 50) 』(三修社1983/12)
- 『消された飛行艇 (1981年) ロナルド W.ジャクソン』対訳 (毎日新聞1981/7)
- 『大英帝国は二度死ぬか (1976年) (特派員の目) 』(毎日新聞1976/9)
脚注
[編集]- ^ 松本県ヶ丘高校同窓会愛のリレー 高校第3回縣陵三陵会
- ^ [P108.参照『昭和55年度会員録 長野県松本県ヶ丘高等学校同窓会』 - 社団法人 長野県松本県ヶ丘高等学校同窓会/編(1980.2)]
- ^ [『縣陵新聞30年の歩み』(縣陵新聞部編/1976)閲覧]
参考文献
[編集]- 『現代物故者事典 1994-1996』日外アソシエーツ